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2012.1.1
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   2012年新年標語

『あなたがたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福が
あなたに来るでしょう』。         (ヨブ記2221節)

 

 このみ言葉が今年山手教会に与えられた新年標語です。今年一年間、
このみ言葉を掲げて一緒に励んでいきましょう。このみ言葉の意味は
説明するまでもなく「どうしたら幸福になれるか」ということですが、
だれしも人間として幸福であることは同じ願いです。その証拠として
「幸福論」と題した書籍が書店にもたくさん並んでいます。わたしも
ヒルティーの「幸福論」などをよく読んで夢を描いていたのを忘れま
せん。

 しかし、わたしたちが求める幸福はそんなものではないことがこの
歳になって、ある程度のものを得てみてわかってきたのです。つまり
ほんとうの幸福は外面的なもの、また物質的なものではなく、もっと
精神的なもの、つまり、「いつも心が平安であること」であることを
悟ったのです。どんなに物質的に恵まれていても心に平安がなければ
虚しいものです。

 では、この平安はどうしたら与えられるのでしょうか。それは『神
と和らいで』とあります。つまり「神と和らぐ」とは「神と和解する
こと」です。でもこれは「神と仲良くする」といった対等の立場では
なく、神に罪が赦されることです。罪が赦されてはじめて心が平安に
なるのです。それまでは、人間は神の審判のときがあることを知って
いますから、それを恐れて戦々恐々としています。しかしこの罪を赦
されてはじめて平安になれるのです。

 詩篇32篇1節に『そのとががゆるされ、その罪がおおい消される
者はさいわいである』とあります。これはダビデ王が自分の経験を歌
ったものです。つまりダビデの幸福論というべきものです。彼はバテ
シバとの不倫事件を起こしたとき、露顕をおそれていました。そのと
きの心境を『わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねも
す苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた』とうたっていま
す。人間には良心があるので苦しむのです。イザヤ57章21節には
『よこしまな者(罪人)には平安がない』とあります。

 預言者ナタンに隠せる罪を追及されて、神の前に悔い改め、赦され
たことを確信したときに、はじめてダビデの心に平安が与えられたの
です。そしてこの詩篇をうたったのです。わたしたちも神と和らいで
平安な一年を送りたいものです。これがわたしたちの幸福であります。

                       (Jan,01,2012)