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2012.1.8
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神に近くあることが幸福

『あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。
その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわい
です。彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。ま
た前の雨は池をもってそこをおおいます』。 (詩篇844-6節)

 

 今年の新年標語はヨブ記22章21節の 『あなたは神と和らいで、
平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたにくるでしょう』とい
う御言葉が与えられました。幸福は誰もが願い求めるものですが、
なかなか求める幸福は与えられません。それは求めるところが間違
っているからです。神を知らない人々は幸福をこの世的なもの、物
質的なものに求めているからです。

 『平安を得るがよい。そうすれば幸福がくる』とありますように、
魂が平安な状態のときに幸福になるのです。では、どうすれば魂が
平安になるのでしょうか。それは『神と和らいで』とありますが、
神に罪を赦されるときにはじめて平安が与えれるのです。ダビデも
『そのとがが赦され、その罪がおおい消される者はさいわいである』
と詩篇32篇 1節でうたっています。彼はイスラエルの王として絶大
な権力を誇っていましたが、ある隠せる罪があるために彼の心は決
して平安ではありませんでした。むしろ、3 節に『わたしが自分の
罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わ
たしの骨はふるび衰えた』と言っています。ところが預言者ナタン
に諭され、ダビデは神の前に隠せる罪を告白して悔い改め、神の赦
しを得たときにはじめて心に平安が与えられたのです。『そのとが
が赦され、その罪がおおい消される者はさいわいである』と言った
のは、赦されてはじめて経験をしたことだったのです。

 さて、今日のところは二つの幸福についてうたっているところで
す。一つは『あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさ
いわいです』(4節)とあります。この「あなたの家」とはエルサ
レムの神殿のことで、いつも神殿に近づき、礼拝をすることのでき
る人は幸いだとい言っているのです。また『その心がシオンの大路
にある人はさいわいです』(5節)とあります。この「シオンの大
路」とは、シオンとはエルサレムのことで、この「大路」とはエル
サレムの神殿に行く街道のことです。つまり、いつもエルサレムの
神殿に詣でることのできる人は幸いだと言っているのです。

 その後、そのような人は『バカの谷を通っても、そこを泉のある
所とします』(6節)とあります。この 「バカの谷」とは文語訳聖
書では 「涙の谷」とありました。つまり涙を流すほど悲しいこと、
辛いことがあっても、神の聖所に近づくなら慰めてくださる、とい
う意味なのです。また 7節には『彼らは力から力に進み』とありま
すが、力強い人生を歩くことができるというのです。

 次に、この詩篇の作者はト書きに「聖歌隊の指揮者によってギデ
トのしらべにあわせてうたわせたコラの子の歌」とありますが、こ
のコラとは歴代志上 9章19節に「コラびとは幕屋のもろもろの門を
守る務めをつかさどった」とあります。つまりエルサレムの神殿の
門番が仕事だったのです。そしていつも神殿に近づいていたからこ
のような詩篇をうたえる環境にあったのです。

 そしてこの84篇の背景はアブサロムの反乱事件がありました。ダ
ビデ王たちはエルサレムを脱出してヨルダン川の東に逃れました。
そのときコラたちも一緒に逃れたようです。そして異国の地でエル
サレムの神殿を慕って歌ったのがこの詩篇だったのです。また詩篇
42篇の有名な 『 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂も

あなたを慕いあえぐ。わが魂は渇いているように神を慕い、生ける
神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることが出来るだろ
うか』、これも同じ状況のもとで歌われた詩篇です。

 さて、わたしたちが魂の渇きを覚えるときは霊的魂が健全な状態
のときです。それが何も感じなくなったときは霊的魂が異常なとき
で気をつけなければなりません。いつも礼拝を守って恵まれている
人が、「いちど何かの事情で礼拝を守れないと一週間が長く心が重
たく感じ、早く日曜日が来ないかと待ち遠しい」、と言っていまし
たが、これは魂の状態がまだ健全な状態だからです。ところが、礼
拝を何週休んでもなんとも感じなくなったら霊的魂の赤信号、危険
な状態なのです。

 わたしたちの教会に、いつも礼拝を守ることを大切にしている老
信徒がいました。ある日曜日に珍しく礼拝を休んだので電話をかけ
ましたら、流感のためにお休みをしたことを知りました。ところが
奥様が「主人は礼拝に行けないと言って布団の中で泣いているので
す」。そこで「そんなに悲しいのですか」と聞くと「今頃礼拝がは
じまっている時間だ、礼拝に行けない自分が悔しい」と言って泣い
ているのです。しばらくしてまた泣いているので、「こんどは何が
悲しいのですか」と聞くと「いまごろ説教がはじまっている」と言
って泣いていたと言うのです。素晴らしく恵まれた人でした。最後
に、『あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるので
す。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守と
なることを願います』。門守は神殿に仕える人たちの間では一番身
分が低く、貧しい仕事です。それでも神殿に仕えることが最高の喜
びだと言っているのです。そこではいつも神に近づいておられるか
らです。                   (Jan,08,2012)