主を畏れる人の祝福
『すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。…見よ、
主をおそれる人は、このように祝福を得る』。(詩篇128篇1節)
今日は「主(神)をおそれる(畏敬する)人の祝福」について
話します。この「おそれる」(恐れる)とは、本来「畏敬の念」
という意味ですが、これを翻訳した当時の常用漢字に「畏」とい
う漢字が使われていませんでしたので「おそれる」としたり、
「恐れる」という文字が使われました。そのために、神を怖がる
というように誤解されてきました。これは決して「神を怖がる」
のではなく、「神を畏れ敬う」という意味なのです。
そして、2節以下に『あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸
福で、かつ安らかであろう。あなたの妻は家の奥にいて多くの実
を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子どもたちは食卓を囲
んでオリブの若木のようである』とあります。これは一家団欒、
平和な家庭の姿です。そしてこれは神を畏れ敬うものに与えられ
るのです。また6節に『あなたは世にあるかぎりエルサレムの繁
栄を見、またあなたの子らの子を見るであろう』とあります。こ
こにある「子らの子」とは言うまでもなく長寿して孫に恵まれる
という意味なのです。また箴言10章27節には『主を恐れるこ
とは人の命の日を多くする』ともあります。
次に、「主をおそれること」についてもう少し話ますと、伝道
の書12章13節に『神を恐れ、その命令を守れ。これはすべて
の人の本分である』とあります。神に対して畏れ敬う心をもつこ
とが、人間の本分なのです。本分とは広辞苑によると「その人の
守るべき本来の分限である」とあります。本来あるべき根本的な
姿なのです。つまり、神に対して畏敬の念をもつことが、人間に
対する根本的本分なのです。そして、このような人は神に愛され、
恵まれた人生を送るのです。
今から40年余り前に、ある大学生の卒業論文を手伝ったこと
がありました。そのテーマは『期待される人間像』という題でし
た。これは当時の文部省に「中等教育審議会」が答申をしたもの
でした。つまりこれからの中等教育をどのような方向に指導して
いけばいいのかという答申です。その論文を読んでいてこの答申
の言わんとすることを知ることができました。それは「絶対者に
対して畏敬の念を持つこと」という主張であることです。この
「絶対者」とは哲学の言葉で、簡単に言うと「神」のことです。
この創造者である神に対しての畏敬(つまり畏れ敬う心)です。
もしこの答申のように教育が行われていれば、40年後の日本
の教育はまた違ったものになっていたでしょう。ところが知識偏
主義に偏った結果、心の教育が疎かになっているのです。これが
今日の教育の荒廃の原因です。ある人が言いました。「神を畏れ
敬うことを教えない教育は、智恵のある悪魔をつくるようなもの
だ」と。大切なのは頭の教育ではなく「心の教育」です。
わたしたちの教会の信徒で教員をしておられた方が、あるとき
ヨーロッパの教育事情を視察に行かれました。そして教会の愛餐
親睦会でその話をしてくれました。それはフランスの公立学校の
話でした。その話によると、子どもが学校に入学すると三ヶ月間、
まず宗教教育をするそうです。フランスはカトリックの国ですか
ら厳格な宗教教育だと思います。そして三ヶ月してはじめて勉強
がはじまるのだそうです。生活指導からはじまる日本の教育とは
根本的に違いますね。
伝道の書12章1節に『あなたの若い日に、あなたの造り主を
覚えよ』とありますが、若いときから神を畏れ敬うことを知るこ
とは大切なことです。子どもの頃、よく親に「不敬虔な人間にな
るな」と忠告されました。言うまでもなく「不敬虔」とは神を畏
れない態度です。神を畏れないから罪を犯すのです。神を畏れ敬
う心をもっているなら人は罪を犯しません。
旧約聖書の列王記下2章にこんな話があります。『彼(預言者
エリシャ)はそこからベテルに上ったが、上って行く途中、小さ
い子どもらが町から出てきて彼をあざけり、彼にむかって「はげ
頭よ、のぼれ。はげ頭よ、のぼれ」と言ったので、彼はふり返っ
て彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。すると林の中から
二頭の雌ぐまが出てきて、その子どもらのうち四十二人を裂いた』
(23節)とあります。
これは神の人、預言者をあなどった子どもたちに下った神の審
きだったのです。どうしてこんな悲劇が起こったのでしょうか。
このベテルは北イスラエル王国の最初の王ヤラベアム王が、金の
牛を祭った町で、それ以来偶像礼拝がはびこり、イスラエルの神
に対する敬虔な態度が失われていたのです。この風潮が子どもた
ちにも影響し、子どもたちが不敬虔になっていたからです。
ここで子どもたちが言った「はげ頭よ、のぼれ」とは、エリシャ
の頭が剃髪していたのと、「のぼれ」とは、エリシャの師エリヤ
が「つむじ風に乗って天にのぼったように、お前も死んでしまえ」
といった「あざけり」の叫びだったのです。これは親の不敬虔な
態度が子どもたちの世界にまで悪い影響を与えていたからです。
『神を畏れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である』
わたしたちも神を畏れ敬う敬虔なクリスチャンであるように励み
たいものです。 (Jan,22,2012)
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