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2012.2.5
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破れ口でみ前に立つ



『それゆえ、主は彼らを滅ぼそうと言われた。しかし主のお選び
になったモーセは破れ口で主のみ前に立ち、み怒りを引きかえし
て、滅びを免れさせた』。       (詩篇106篇23節)


 この詩篇はエジプトを脱出したイスラエルの民が、モーセによ
ってカナン(パレスチナ)に導かれる道中に起った様々な出来事
を振り返り、そこに働かれた神のみ業を思い返して讃美をした詩
篇です。

 そして23節はシナイ山のほとりでイスラエルの民が神に背いて
滅ぼされようとしたとき、モーセが「破れ口」で自分の身を挺し
て民を滅ぼされないように執り成したところです。大雨が降って
堤が崩れる危険があるとき、その危険なところ(つまり破れ口)
で身を投げ出して守ることです。

 この出来事は出エジプト記32章31節にこうあります。 『モー
セは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いな
る罪を犯し、自分のために金の神を造りました。今もしあなたが、
彼の罪をゆるされますならば(赦してください)、…しかし、も
しかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わ
たしの名を消し去ってください」』と、イスラエルの民の赦しを
執り成したのです。

 モーセがシナイ山で神と交わっている間、下界では民が、モー
セが40日間も食料もなしに生きておられるわけはない、きっと
死んだに違いないと考え、これからさき自分たちを導く神を与え
よとモーセの兄アロンに求めたのです。そこでアロンは民から金
の耳輪、鼻輪、首輪などの装身具を集めて、金の子牛を鋳て、
「これがお前たちの神だ」と与えました。すると民はその金の子
牛を祭って大騒ぎをしたのです。

 その喧騒がふだん静かなシナイの山頂まで聞こえてきました。
それをご覧になった神はたいへんお怒りになり、その民を滅ぼそ
うとされたのです。なぜなら少し前に、神はモーセを通して『十
戒』を与えたばかりでした。その十戒には『刻んだ像を造っては
ならない。…それを拝んではならない』とありました。これは偶
像礼拝を禁止した項目です。それにもかかわらず、民はその罪を
犯したからです。

 それを知ったモーセは急いで山を下りてきて、神に「滅ぼすこ
とを思い留めてくださるように」と執り成しをしました。その祈
りが、「もしかなわなければ、あなたが書きしるされたふみから、
わたしの名を消し去ってください」と言う祈りでした。この「書
きしるされたふみ」とは『いのちの書』です。これは神の国に入
ることのできる人の名前が記された書です。これは新約聖書にも
たくさんでてきます。

 つまりモーセは「自分はどうなってもかまいませんから、わた
しに免じてイスラエルの民を赦してください」、という身命を投
げ出した執り成し(仲保者)の祈りだったのです。これはまさし
くイスラエルの民に対する愛の執り成しだったのです。

 ここで『いのちの書』について書いておきます。
 まずイザヤ書4章4節に『生命の書にしるされた者は、聖なる
者ととなえられる』とあります。これは聖徒の名、つまりイエス
の十字架の贖いによって罪が赦された者たちの名前が記された書
なのです。そして、ここに名前が記された者だけが神の国(天国)
に入ることができるのです。ですからわたしたちは、どんなこと
があってもその名が消されないように死守しなければなりません。

 次は、ヨハネ黙示録20章11節、『また見ていると、大きな白い
御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から
逃げ去って、あとかたもなくなった。また死んでいた者が、大
いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。
かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これ
はいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書
かれてかれていることにしたがってさばかれた』。

 ここにある「白い御座」とは「キリストの審判」のことで、世
の終末には審判のときがあるのは自明のことです。そして、その
ときに二つの書物が開かれて審判がおこなわれるのです。それは
「かずかずの書」と「いのちの書」です。この「かずかずの書」
とはわたしたちの人生の行状が記された書物です。しかし、感謝
なことに、わたしたちがイエスを信じて救われたときに、それま
で(罪人時代)の一切の記録は消されるのです。これが贖いの尊
さです。イザヤ書1章18節に『たといあなたがたの罪は緋のよ
うであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、
羊の毛のようになるのだ』とあります。これは「まったく罪なき
ものとされる」と言う意味なのです。ですから、キリストの審判
の前に立たされても何も恐れることはありません。

 また21章27節には『はいれる者は、小羊のいのちの書に名
を記されている者だけである』とあります。この「はいれる者」
とは22章にある「新天新地」のことです。わたしたちはこの
新天新地に入れていただくために今日まで真面目に信仰生活を励
んできたのではありませんか。最後に『このいのちの書に名がし
るされていないものはみな火の池(地獄)に投げ込まれた』とあ
ります。恐ろしいことです。        (Feb,05,2012)