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2012.2.19
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おのが日を数えること



『われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。われらのよわい
(寿命)は七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十
年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、
その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。…われらに
おのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください』。
                     (詩篇90篇12節)


 この90篇は告別式のときによく読まれますが、人のいのちの
儚さ(はかなさ)をうたったものです。3節以下に『あなたの
目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時
のようです。あなたは人を大水のように流れ去らせられます。
彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
あしたにはもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるの
です』。とありますように、人のいのちは儚いものだと言って
いるのです。

 さて、この詩篇はト書きに「神の人モーセの歌」とあります
が、この人は今から3500年前の聖書の世界に登場する人物で、
「出エジプト記」と「民数記」にその生涯と働きが記されて
います。彼はエジプトの血で、430年間も奴隷になっていた
イスラエルの民を導き出した人です(12章40節)。これはモー
セが80歳から120歳までの40年間の出来事です。

 そして、この詩篇が読まれるようになった動機はイスラエル
の民がカデシバルネヤで遭遇した悲劇でした。それは民数記
13章に記されていますが、イスラエルの民が神に対して不信仰
を起こしたときのことです。

 モーセによって出エジプトをしたイスラエルの民はシナイ半島
を南下してシナイ山で神から「十戒」を受け、さらに北上して
神から与えると約束の地カナン(今日のパレスチナ)に向いまし
た。そしてカデシバルネヤでカナンの地を探るために斥候を送り
出したのです。イスラエルの各部族から一名ずつ(イスラエルは
12部族ですから)12名を選び、二人一組にして6組がカナンの
地を40日間偵察をしました。その結果彼らの報告は、「カナンの
地は確かに神が言われるような乳と蜜の流れる豊穣な土地です。
しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、
わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました」と言う、
民たちの心を挫くような報告でした。

 それに対してカレブとヨシュアは「わたしたちはすぐにのぼっ
て、攻めとりましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」
と報告をしましたが、他の10名の斥候が「探った地のことを
イスラエルの人々に悪く言いふらした」ために、民たちの心を
萎えてしまったのです。そのためにカレブとヨシュアがどんな
に言っても耳を貸さず、モーセはカナンに侵入するのを中止せ
ざるを得ませんでした。

 その不信仰のために神は40年もの間、荒野を彷徨(さまよう)
はなければなりませんでした。そして40日間に不信仰を起こし
た20歳以上の民がみんな死に絶える(カレブとヨシュアは別格)
まで荒野を彷徨したのです。これは不信仰なイスラエルの民に
対する神の審きでした。この荒野で何十万の民がばたばたと死
んでいく有り様をみてモーセは、いのちの儚さを覚えてこの詩
を書いたと言われています。

 さて9節に『われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。わ
れらのよわい(寿命)は七十年に過ぎません。あるいは健やかで
あっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩
みであって、その過ぎゆくことははやく、われらは飛び去るので
す』とあります。これは今日でもあまり大差はありません。日本
は最近環境がよくなり比較的に長寿です。そして百歳以上の方が
昨年は4万人を越えたと報道されましたが、それでもモーセのよ
ように120歳を超えることはありません。どんなに健康な人でも
やがて誰もが地上を去るのです。

 『あるいは健やかであっても八十年でしょう』とありますが、
わたしは80歳という年は人生の折返点だと考えています。そこ
で残された日々は天国のゴールに向かってまっしぐらに走るだ
けです。(と言っても、わたしの折返点は75歳でした。先週も
話しましたように、3年前の11月13日に山で遭難して意識を失
い救急車で日赤病院に搬送されて手当てを受けました。もう少
し当たり所がわるければそのまま死んでいたかもしれないので
す。ですからあのときがわたしの折返点だったと思っています。
ですから、いつまで地上に置いてくださるかわかりませんが、
とにかく残された人生を目いっぱいに、そして十全に(完全な
こと、全く欠点のないこと、十分にととのえて。広辞苑)に励
んで行きたいと願っています。

 最後に『われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心
を得させてください』。これは愛する者を失ったとき、嘆き悲
しんでばかりいないで、自分の残された年月を数えてどのよう
に生きていけばよいか考えなさいという意味なのです。そのた
めに①神を畏れ敬い、敬虔な生活をおくること。②常に神に近
づき、礼拝する生活を大切にする。③祈りと御言葉によって、
いつも霊が養われている生活を守ること。そして『後のものを
忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざし
て走り、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞
与を得ようと努めているのである』(ピリピ3章13節)
                    (Feb,19,2012)