神は遍在するお方
『わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。
わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。
わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わた
しが陰府(よみ)に床を設けても、あなたはそこにおられま
す。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あ
なたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわ
たしをささえられます』。 (詩篇139篇8節)
9節に『わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわ
たしをささえられます』とありますが、これはよく海外旅行を
する方にこのみ言葉で祈って送り出しますので、みなさまには
なじみのある言葉ではないでしょうか。
これは神の遍在(神はあまねく、どこにでもおられるという
意味)をうたったものです。そして神を信じる者にとっては心
強い言葉ですが、そうでない人には都合のわるいことです。7
節に、『わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょ
うか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょう
か』とありますが、神はどこにでもおられるので、神から逃れ
ることはできません。どこまで逃げても結局は神の手の中から
逃れることはできないのです。
昔ヨナという預言者がいました。彼は神から「二ネベという
町に行って伝道するように」と言われたとき、それを恐れまし
た。それはニネベのような町で悔い改めを語ったらどんな恐ろ
しい迫害に合されるわかっていたからです。
ところが丁度タルシシ行きの船があったので「渡りに舟」と
ばかりにそれに乗り込みました。ところが嵐に遭遇して彼は海
に投げ込まれました。そして大魚に飲み込まれ、3日3晩、神に
背いた罪を悔い改めたところ、4日目に陸地に投げ出されたの
です。そして神に言われた通りにニネベに行って伝道をしたと
ころが、町の人たちは続々と悔い改めました。つまりヨナは神
に背を向けて逃げようとしましたが、結局は神の手の中から逃
れることができなかったのです。『わたしはどこへ行って、あ
なたにみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あな
たのみ前をのがれましょうか』とあるとおりでした。
わたしも若いときに神に背を向けて逃げようとしました。親
から高校を卒業したら神学校に行くように勧められましたが、
わたしは牧師にはなりたくなかったので、親と喧嘩をし、家出
までして逆らい、大学に行ったのです。しかし大学生活の4年
の間にいろいろな事があって神に捕えられ、卒業後に行くこと
になりました。一度は神から逃れようとしましたが、神の手か
らは逃れることはできませんでした。しかし、この4年間は決
して無駄な時ではなく、神の摂理(神は人の利益をおもんばか
って、世のことすべてを導き治めること。広辞苑)のときだっ
たと思います。
次に、8節に『わたしが天にのぼっても、あなたはそこにお
られます。わたしが陰府(よみ)に床を設けても、あなたはそ
こにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住
んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右の
手はわたしをささえられます』とあります。
つまり、神はどこにでもおられて、その選ばれた者を守って
くださるというのです。ですから安心して旅が出来るのです。
これが遍在の神です。創世記28章15節にベテルで神がヤコ
ブに現われておられるところがあります。その経験について少
し話します。
父を騙して「長子の特権」を奪いとったヤコブは、兄エソウ
から憎まれ、「父が死んだらヤコブを殺す」と言っている噂を
ききました。それを知った母は弟を家から逃したのです。ヤ
コブにとっては「身から出た錆」ですが、夜逃げ同然で家を出
たのですから不安な旅でした。そしてあるところ(ベテル)で
石を枕にして野宿をしたとき夢をみました。それは天まで届く
高い梯子に神の人が昇り降りしている光景でした。
そして『わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くに
もあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたし
は決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう』
との神のみ声があり、天涯孤独だと思っていたのに、神がこの
所にもいてくださったことを知ったのです。そして、このとき
にはじめて神を信じたのです。
そこでヤコブは『まことに主がこの所におられるのに、わた
しは知らなかった』と言って石を立てて神を礼拝し、その所を
「ベテル」と名付けたのです。そしてこれまでは「アブラハム
の神、イサクの神」でしたが、この時から「アブラハムの神、
イサクの神、ヤコブの神」となったのです。
このヤコブのときに現われた神は、いまもわたしたちと共に
あって、わたしたちがどこにいても、またどこに行ってもいつ
も変わらない愛で共にいてわたしたちを守ってくださいます。
ですからどんなときにも「われ常に主をわが前におけり」と
あるように、いつも共にいてくださる神を信じて行きましょう。
士師記18章6節に『安心して行きなさい、あなたが行く道は
主が見守っておられます』とあります。
(Feb,26,2012)
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