復活の意義について
『イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、
命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信ずる者はいつまでも死なな
い』。 (ヨハネ福音書11章25節)
金曜日に十字架にお掛かりになったイエスは、アリマタヤの
ヨセフの墓に葬られましたが、日曜日の朝、イエスを信ずる女
性たちが墓に詣でたときは既に復活されて、墓はもぬけの空で
した。それを見て驚いた女性たちに御使いは、「そのかたはこ
こにはおられない、甦られた」とイエスの復活を知らせたので
す。
さて、きょうは復活祭です。そこで復活の意義についてお話
をします。イエスが墓から復活をされたということは「サタン
の死の力に勝利をされた」ということを意味します。
キリスト教の大切な信仰は「十字架」と「復活」です。そし
て十字架はわたしたちの罪の贖いのためのもので、復活はその
贖いが完成されたことを示すものです。ある僧侶がキリスト教
に回心した体験談がありますが、彼は聖書を読むうちに「キリ
スト教には復活がある」と言ってキリスト教に帰依し、後に牧
師にまでなったのです。
復活の信仰はそれだけ多くの人に生きる勇気と希望を与えた
のです。ですから皆さんも復活の信仰をもって力強く生きてく
ださい。ヨハネ福音書11章25節に『わたしはよみがえりであり
命である。わたしを信じる者は死んでも生きる』とありますが、
この「死んでも生きる」とは、復活するという意味なのです。
ですから信ずる者にとっては死を恐れることはありません。
人類のいちばんの大敵は死です。それは死の後には審判があ
るからです。しかしイエスの復活を信ずる者は審判の場につく
ことなく、裁かれないのです。そして死の恐怖から解放される
のです。いつも話すことですが、わたしは11歳のときに姉と死
別し、翌年の12歳のときに母を失いました。そんな経験から死
の恐怖の奴隷となった少年でした。まさしくノイローゼのよう
な状態でした。しかし、後に信仰をもち復活の信仰が与えられ
てからは、死の恐怖から解放されて今日に至っています。
また、復活の信仰は死に臨む者に、死を恐れない勇気と力が
与えられます。新教出版社から刊行された原崎百子さんの「わ
が涙よ、わが歌となれ」という私記があります。これは「週刊
朝日」でも紹介されましたが、44歳の若さで癌のために天に召
された牧師夫人の残された病床日記であります。
彼女は主人から「あと二ヵ月の余命」と宣告されたときから、
二冊の大学ノートを買い求めました。一冊は主人のために、も
う一冊は残される二人の小さい子供のために書かれたものでし
た。これが夫人の死後に私記のかたちで出版されたものです。
しかも、その内容は、余命いくばくもない者の書いたものとは
思えないほど平安と勝利に満ち、復活の希望に満ち、読む者を
力づけるだけでなく、生きる勇気が与えられるものです。
「今日という日を、つまり1978年6月28日という日をここに
明記しておきたい。今日はわたしの長くない生涯にとって画期的
な日となった。わたしの生涯は今日からはじまるのだし、これか
らが本番なのだ。今日をそのような日にしてくれた主人に、その
勇気と決断と愛とに、どんなに感謝していることか。それは主人
の愛であると共に、わたしへの信頼と誠実とであって、主人に一
人のキリストを信ずる女性として、このように信頼されたことを
誇らしく思っている。しかしそれは単に、わたしへの信頼といっ
たものでないことは勿論であって、わたしたちが共に望みを置い
ているキリスト・イエスの揺るがない信仰に基づいている。
この時期を選んで主人が余命を宣告をしてくれたことはわたし
にとって最も適切なことだったと思う。彼は四か月もの間、独り
で耐えていてくれた。わたしは思わず「辛かったでしょう」と夫
の背中を摩ったけれど、その間の苦悩を思うと涙があふれてくる」。
これは癌の宣告を受けた日の日記であります。彼女は取り乱す
のではなく、むしろ、独りで苦しみに耐えてきた主人に同情し、
いたわりの心にさえ満ちています。この力はやはり彼女の信仰の
力、復活の望みによるものであります。
「主人はわたしに残酷なことをしてしまったのではないかと
心を傷めているようだ。しかし、キリスト者にとっては死はす
でに克服されてしまったものだ、復活を信ずる者にとっては死
は御国への門口にすぎない、いま死を目前にして、おのが(残
された)日を数えることを始めたとき、人ははじめて驚きをも
って過去、現在、未来の一切を学び直し、神の愛を確認し直す
のではないか。それは御国への準備であって、死への準備では
ない。似てはいるが二つのものはまるで違う内容をもっている。
御国に招かれることが残酷だろうか。その準備をさけることが
残酷だろうか」。
ここには、死を恐れず、御国に向かって雄々しく進んでいく
夫人の、実に力ある姿を見ます。私記はこのあとも続きますが、
実に見事な信仰の証しです。しかも、これがあと二ヵ月で死を
迎える人の私記かと思えるほどの信仰の確信に満たされたもの
です。これは復活の信仰に満たされているからです。わたした
ちも復活の信仰をもって力強く生きたいものです。
(Apr,08,2012)
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