トマスに対するイエスの愛
『「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので
信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」』。
ヨハネ福音書20章29節
日曜日の朝、墓から復活されたイエスは弟子たちの前に
現れたので「弟子たち主を見て喜んだ」(20:20)のです。
ところが、その場に弟子のひとりトマスがいませんでした
ので、弟子たちの喜んでいる姿を見て、自分だけが蚊帳の
外に置かれたような気がして面白くありませんでした。
そこで、「お前たちはイエスの幻影を見たのに違いない。
イエスが復活したなんて信じられない。もしそれがほんと
うにイエスだったらその両手両足に釘の跡、そして脇腹に
槍で突かれた傷痕があるはずだ。それを見たら信じよう」
と言いました。
ところが、それから8日目にイエスは再び、今度はトマス
の前に現れなさいました。これはトマスに対するイエスの愛
だったのです。そして両手両足の釘の跡、また脇腹の傷痕を
お見せになりました。そして「信じない者にならないで、信
じる者になりなさい」と優しく臨まれたのです。
そこでトマスはその傷痕をみて、それがイエスであること
を知り、「わが主、わが神よ」と言ってイエスの復活を信じ
たのです。そこでイエスは「あなたはわたしの傷痕を見たの
で信じたのか。見ないで信ずる者はさいわいである」と言わ
れたのです。このトマスはペンテコステの日に聖霊に満たさ
れて後、熱心にイエスの復活を宣教する者になったのは言う
までもありませんが、後にインドに伝道をしたといわれてい
ます。そしてその地に聖トマス教会がありますが、彼のゆか
りの教会だといわれています。
さて、このところでトマスのことを懐疑的な人と言われま
すが、なぜトマスはイエスの証拠を見るまでは、復活を素直
に信ずることができなかったのでしょうか。彼は理知的な人
だからと言う人がありますが、理知的ということは決してほ
められたことではありません。詩篇53篇1節に『愚かな者は、
心のうちに「神はない」と言う』とありますが、この「愚か
な者」とは罪人のことです。つまり神を素直に信じることが
できないのは理知的だからではなく、罪人だからです。です
から神を信じられないなんて自慢にもならないのです。それ
よりも人間として恥ずべきことなのです。
日本人は無宗教(信仰をもたないことを)であることを自
慢する人がありますが、これは決して自慢できることではあ
りません。むしろアメリカなどでは宗教をもたない人など信
用されないのです。
ひとりのお爺さんから電話があり、「わたしは聖書の奇跡
が信じられない」と言ってきたのです。その方は若い頃から
教会に来ておられましたが、大学で美術の教授をされておら
れたとても理知的な人でした。そこで「あなたが奇跡を信じ
られるように祈ります」と言って電話を切りましたが、それ
からしばらく後のある日の家庭集会のときに、「奇跡が信じ
られるようになりました」と言ったのです。そこで、話を聞
きますと「食事のときに入れ歯を飲み込んでしまったので、
妻にご飯を団子にしてもらって何度も飲み込みましたが、一
向に下りないのです。部分入れ歯なので鋭い金具が胃壁にひ
っかかってはたいへんだと焦り、最後には妻と一緒に祈りま
した。すると二日後には出てきました」とそれを見せてくれ
ました。そして「わたしは奇跡が信じられるようになりまし
た」と話してくれたのです。奇跡が信じられない人に対して
は信じられるようにしてくださるのが神です。
神学生の頃(50数年も前のことですが)、ブルトマンの
「非神話化」という学説が盛んに提唱されていました。これ
は聖書の中には神話化されたものがある、それを取り除くな
らば純粋になるという考え方でした。そして聖書の中から奇
跡を排除したのです。しかしその後、その学説も聞かれなく
なりました。それは、そんなことをしたら、聖書のみ言葉に
力がなくなってしまったからです。
とにかく、聖書全体を神の普遍的真理として、そのまま信
じて受け入れることです。ヤコブ1章21節に『御言葉を、す
なおに受け入れなさい。御言葉にあはあなたがたのたましい
を救う力がある』とあります。
旧約聖書の中に「メピボセテ」という人が出てきます。
(サムエル記下9章)。この人はイスラエルの初代の王、サウ
ル王の孫でした。ダビデが王になったとき、とても世話になっ
たヨナタンに報いたいとおもいましたが、その人はすでに戦死
をして、おりませんでしたので、僻地で息をひそめて住んでい
たその息子メピボセテをエルサレムに招いたのです。すると彼
はダビデの申し出を素直に受け入れてエルサレムに来ましたの
で、「王の子のひとりのように食卓についた」、つまり王子の
ような待遇を受けたというのです。それはダビデ王の言葉を素
直に信じたからです。
その反面、ハヌンという人は、同じようなダビデ王からの好
意を素直に受けることができず、ダビデの魂胆を疑って、使い
の者を辱めて追い返したので、かえってダビデを恐れるような
立場になったのです。 (Apr,15,2012)
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