弟子たちの思い煩い
『彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上
に魚がのせてあり、またそこにパンがあった』。
ヨハネ福音書21章9節
このガリラヤ湖畔での弟子たちとの出会いは、『イエスが
死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、
これで既に三度目である』(14)とあります。そして、この
ところで弟子たちに「思い煩うな」ということを教えられた
ところです。
聖書のみ言葉を開きます。ペテロ前書5章7節に『神はあな
たがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわ
ずらいを、いっさい神にゆだねるがよい』とあります。神を
信ずる者はなにも思い煩うことはありません。なぜなら神は
わたしたちの一切の必要をご存じで顧みていてくださるから
です。
さて、弟子たちがガリラヤ湖(テベリヤ湖ともありますが、
これは同じ所です。そしてこれはローマ皇帝テベリウスから
きたものです)に来ていたのは、復活されたイエスが『ガリ
ラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう』(マタイ28:10)
というイエスの言葉に従ったからです。
ところが来てみるとそこにイエスの姿はありませんでした。
そこで明日の糧のことを思い煩った弟子たちは、イエスに
従ったときに捨てた舟と網を持ち出して漁に出たのです。と
ころが「その夜はなんの獲物もなかった」のです。彼らはか
つてはこのガリラヤ湖の漁師でしたが、不思議なほど収穫が
なかったのは、思い煩って自分勝手に舟を出したからです。
ヨハネ福音書15章5節に『わたしから離れては、あなたがた
は何一つできない』とあるとおり、祝福がなかったのです。
そして失望落胆して舟を出したからです。ヨハネ福音書
15章5節に『わたしから離れては、あなたがたは何ひとつ
できない』とあるとおり、祝福がなかったのです。
そして失望落胆して舟を岸に戻していたとき、陸で彼ら
の様子を見ていた方がありあした。その方はイエスでした。
イエスは弟子たちに『舟の右の方に網をおろして見なさい。
そうすれば、何かとれるだろう』と言われたお言葉に従っ
て網をおろしたところが、舟に引き上げることができない
ほどの魚が獲れたのです。あとで数えてみると、153匹の
大漁だったのです。自分で勝手に網をおろしたときは一匹
も獲れなかったのに、イエスのお言葉に従ったときには大
きな祝福を得たのです。
このとき弟子たちは、自分たちがイエスの弟子になる前の、
そして弟子となるきっかけとなった、あの出来事を思い出し
たに違いありません。ルカ福音書5章で場所は同じガリラヤ
湖での出来事でした。イエスが群衆を前にして語っておられ
たとき(山上の垂訓のこと)、群衆は少しでもイエスに近づ
きたいと押し迫ってきたので、イエスは近くで網を洗ってい
た漁師の舟に乗せてもらい、舟の中から説教をされたのです。
そのあとイエスは漁師たちに『沖へこぎ出して、網をおろ
して漁をしなさい』と言われました。そのとき漁師たちは、
「わたしたちは夜通し働きましたが何もとれませんでした。
しかし、お言葉ですから、網を下ろして見ましょう」とイエ
スのお言葉に従ったところが、おびただしい魚の群れが入っ
て網が破れそうになったのです。この経験が彼らがイエスの
弟子となる動機となりました。(彼らが素直に従うことが出
来たのは、イエスの説教を網を洗いながら近くで聞いていて
恵まれたからです)。
もう一つ、ここで教えられることは、イエスは弟子たちに
「舟の右に網を下してみなさい」と言っておられるところで
す。普通漁をするときは舟の左に(左舷)網を下ろすものだ
そうです。ところがイエスはその常識破りなことを言われた
のですが、弟子たちがそのように従ったときに大漁を得たの
です。そしてその人がイエスであることを知ったのです。
さて、彼らが陸に上がったとき、弟子たちは驚くような光
景を見たのです。それは既に「炭火がおこしてあって、その
上に魚がのせてあり、パンがあった」のです。この魚は彼ら
が獲ったものではなく、それ以前からイエスが用意されてい
たものでした。これでは彼らの夜通しの働きは「くたびれも
うけ」でした。
このように、神は今もわたしたちの必要をご存じで備えて
いてくださる方です。ですから思い煩うことのないようにし
たいものです。マタイ福音書6章31節に『だから、何を食べ
ようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思い
わずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めている
ものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、こと
ごとくあなたがたに必要であることをご存じである』とあり
ます。
神はわたしたちの一切の必要をご存じで、必要に応じて備
えてくださるお方です。ですから不信仰を起こさないように
したいものです。ある青年が山手教会に来たとき、講壇から
「神様には味噌も醤油も何でもある」と語られているのを聞
いて、「この教会の神様は生きておられる。素晴らしい」と
言って教会に来られるようになったと聞きました。確かに神
はわたしたちの一切の必要をご存じの方で、わたしたちが求
める前から備えていて下さるお方ですから、思い煩わないで
神に祈り求めることが大切です。『神はあなたがたをかえり
みていて下さるのであるから、自分の思い煩いを、一切神に
ゆだねるがよい』とあるとおりです。
(Apr,22,2012)
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