本文へスキップ
2012.5.13
                                                      戻る

  
   涙の子は滅びない





『あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである。しか
し、主を畏れる女はほめたたえられる』。
                   (箴言31章30節)


 今日は「母の日」です。そこで母の信仰について話ます。
皆さんのなかには「教会まで、なぜ社会の行事に迎合するの
か」と思われる方があるかもしれませんが、そもそも「母の
日」は教会からはじまった行事なのです。それはアメリカの
メソジスト教会で、ひとりの女性が赤いカーネーションを胸
につけて教会に来ましたので、そのわけを聞いてみますと、
「今日は私の母の記念日です。その母を偲んでいるのです」
と話ました。それからその教会は、その日を「母の日」とし
て守られるようになりました。

 それがキリスト教会に受け入れられ、全米の教会で「母の
日」の行事として守られるようになりました。そして日本に
入って来たのは67年前の終戦後に、日本のキリスト教会に
導入されました。そして今や日本の社会に受け入れられるよ
うになり、年間行事の一つとなったのです。

 そこで今日は信仰の母のお話をしますが、昨年の母の日に
はモーセの母、サムエルの母、そしてイエスの母マリヤの話
をしましたので、今日はアウグスチヌスの母、モニカの信仰
について話ます。彼女については「涙の子は滅びない」とい
う言葉で有名な人で、皆さんも自明な言葉です。そして母モ
ニカの信仰と祈りで息子を救いに導いたのです。彼は後に西
方教会の最大の教父として活躍し、その信仰と思想は今日も
カトリック、プロテスタントの両陣営にも大きな影響を与え
ているのです。

 モニカの息子アウグスティヌスはAD354年に北アフリ
カのタガステで生まれましたが、母モニカは熱心なキリスト
教徒で、アウグスティヌスを幼いときから厳格に信仰に導い
たのです。彼がキリスト教に回心をした後に書いた「幸福な
生活」という書物の中に、「今日、わたしがあるのは、ひと
えに母のお蔭である」と書いています。その言葉のとおりに
回心するまで30年間、彼のために祈り続けたのです。

 アウグスチヌスは幼いころから修辞学の秀才で、16歳で
カルタゴに留学をしています。しかし大都会の享楽的な刺激
の虜になり、自堕落な生活を送るようになり、18歳のとき
に一児の父となりました。また19歳のときに「マニ教」に
入信しました。この「マニ教」とは3世紀にはじまった新興
宗教で、ペリシャのゾロアスタ教を基本とし、それにキリス
ト教的要素を加味したグノーシス宗教です。(修辞学とは人
に感動を与えて説得する術、広辞苑)

 これを知った母モニカは驚いて息子の回心のための祈りが
はじまったのです。そんなとき教会の神父から『安心してい
きなさい。涙の子が滅んだためしがありません』と言葉をか
けられ、希望が与えられて真剣に祈りはじめたのです。そし
て、その祈りが聞かれたのは14年後のアウグスチヌスの
34歳のときでした。

 29歳のときにマニ教の教師にまでなっていましたが、「
マニ教にはもはや何も期待できない」と失望して離れました。
そしてローマに赴き、30歳のときにアンブロシウスに出会
い、キリスト教に接近したのです。(この人は司祭として西
方教会の指導的地位にあり、教会のみならず、一般社会でも
影響力をもっていた人で)アウグスチヌスはこの教師に師事
し熱心の求道をしたのです。

 32歳のときに劇的回心をしました。ミラノの庭園で木陰
に身を寄せ、長年の悪習慣の絆から抜け出し、新しい歩みを
したいという思いと、それを妨げる意思、この世の快楽を懐
かしむ心、つまり、この世に執着しようとする意思と、神に
向かおうとする意思が彼の内で激しく抗争し、内面における
自分自身との戦いに煩悶としていたとき、隣の庭で遊んでい
る子供たちの清らかな声が聞こえてきました。

 「取りて読め、取りて読め」、この声に光を受けたアウグ
スチヌスは、急いで部屋に入り聖書を開いたところがローマ
書13章13節から14節の箇所でした。そこには、『享楽
と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて、昼歩くようにつ
つましく歩こうではないか。あなたがたは主イエス・キリス
トを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない』。
この言葉に接したとき、アウグスチヌスの心は震えたのです。
そして、ほのかな光と平安が彼の心に差し込んできたのです。
これが彼の回心のときとなりました。

 そして、34歳の復活祭のときにアンブロシウスによって
洗礼を受けたのです。母モニカはとても喜んだのは言うまで
もありません。それから9日目にモニカは熱病のために天に
召されました。56歳の生涯でしたがアウグスチヌスのため
に生きた生涯でした。その後アウグスチヌスはカルタゴに帰
り、生地タガステで自分の全財産を売り払って数人の友人と
修道生活をはじめました。

 38歳のときにヒッポの祭司に叙任され、43歳のときに
ヒッポの監督に任じられ、77歳で召天するまで34年間、
神と教会に仕える生涯をおくったのです。

 これがアウグスチヌスの劇的回心であります。そして、この
背景には先に述べたように母モニカの涙の祈りがあったからで
す。『涙の子は滅びない』。そのとおりにモニカの祈りが答え
られたのです。子供のためにいろいろと問題を抱えている人が
あるかもしれませんが、涙の祈りをささげたいものです。
 
                   (May,13,2012)