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2012.6.17
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   最初の殉教者ステパノ





 『こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステ
パノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受
け下さい」。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、
どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って彼
は眠りについた』。          (使徒行伝7章59節)

 このところはステパノが殉教をしたところです。そして彼は
初代教会の最初の殉教者となりました。このステパノはイエス
が選んだ12名の弟子ではなく、初代教会になって選ばれた7名
の執事の一人で、彼らは初代教会のために多大な貢献をしまし
た。

 この人のことを6章には、『信仰と聖霊に満ちた人ステパノ』
また『恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡とし
るしとを行っていた』(6:8)とあります。また『ステパノと
議論をしたが、彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対
抗できなかった』(6:10)。『議会で席についていた人たちは
皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔の
ように見えた』(6:15)とあります。それだけ御霊に満たされ
た人だったのです。

 それだのに、なぜステパノを憎み殺そうとしたのでしょうか、
それは彼が聖霊に満たされて恵まれていたからです。サタンは
妬みの霊です。人が恵まれて幸せそうにしていると面白くない
のです。箴言14章30節に『妬みは骨の腐りなり』(文語訳)
とありますが、妬み心をもっていると、他人を不幸にするばか
りではなく、自分自身をもだめにしてしまうのです。ですから
妬みこころがある人は御霊によって聖別されなければ幸せには
なりません。

 マタイ福音書15章10節に『祭司長たちがイエスを引きわたし
たのは、ねたみのためであることがピラトにはわかっていたか
らである』とあります。このようにイエスを十字架にかけて殺
したのは、ユダヤ教の宗教的指導者たちの妬みだったのです。
妬みは人間の冷静な判断力を失わせてしまうだけでなく、善悪
の判断を出来なくしてしまうのです。ですから妬み心を聖別さ
れなければなりません。

 年頃の娘を亡くしたお母さんがある日、町の銭湯にいきまし
たら、湯船に首までつかって幸せそうにしている娘を見たとき、
思わず自分も湯船に入っていき、おもいきりその娘さんの太股
をつめったのです。自分の娘が死んだのに、その娘がしあわせ
そうにしているのを見たらたまらなくなったのです。これも妬
み心です。そして「自分の罪深さを反省をした」と言っていま
した。

 次に、ステパノは石で撃ち殺されそうになっている間も彼は
祈りました。『こうして彼らがステパノに石を投げつけている
間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの
霊をお受けください」。そして、ひざまずいて大声で叫んだ、
「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」』。彼
は最後まで自分を殺そうとする人たちのために祈りました。こ
の祈りはイエスが十字架の上で祈られたのと同じ祈りでした。
つまり自分を迫害して殺そうとするものを赦した祈りでした。
この赦すということは最大の愛です。

 ステパノが自分の死を恐れなかったのは、天国を見ていたか
らです。56節に『彼は聖霊に満たされて天を見つめていると、
神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのがみえた。
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立ってお
いでになるのが見える」と言った』とあります。だれでも天国
を見た人は死を恐れません。

 先週の月曜日(11日)に岩井清先生の博子奥様がお召されに
なり、金曜日に平塚福音キリスト教会で告別式が営まれ、わた
しも参列してまいりました。博子奥様は長く後腹部の悪性腫瘍
のために病と闘ってこられ、二度の手術を受けられましたが、
11日の午後8時40分に平安の裡に天に召されていかれました。

 その最期は「見える、見える」と言って息を引き取られたそ
うです。ご主人の清先生は「博子は、天国の光景を見たのでしょ
う」と話をしておられましたが、わたしたちもその話を聞いて
天国の確信が与えられました。このように天国を見た人は死を
恐れません。皆さんのなかで天国の確信がない人がおられまし
たら「天国を見せてください」と祈ってください。

 ある地方の教会から頼まれて聖会の御用に行きました。そして
その聖会を通して「新天新地」について語りました。集会の後、
ひとりのお婆さんが、先生、ありがとうございました。これで
わたしの行き先がはっきりしました」と挨拶をされました。その
夫人のご主人が少し前に亡くなり、自分のこれからについて不安
だったそうです。しかし天国の話を聞いて信仰がもてたそうです。
それから間もなくそのお婆さんが召されたことをその教会の牧師
から「実に平安に満たされた最期だった」と聞きました。この人
も天国を見たからです。

 あるお爺さんが、「先生、こんな夢をみました」と話してくれ
ました。長細い大きな箱に入れられて暗いトンネルの中を運ばれ
ていましたが、やがてトンネルから出るとそこには眩いばかりに
明るい世界でした。そこでは燕尾服を着た紳士と長いドレスを着
た淑女たちが、円舞曲に合わせて楽しそうに踊っていたのです。
そしてお爺さんは、「わたしは天国をみました」と言っていまし
た。このお爺さんも、それから間もなく天国に召されていかれま
した。                  (Jun,17,2012)