与 え る 者 の さ い わ い
『また「受けるよりは与える方が、さいわいである」と言われた
主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示
したのである』。 (使徒行伝20章35節)
今日は「受けるよりは与える方が、さいわいである」という御言
葉について話ます。そしてこの20章はパウロがエペソの教会の人々
に対して決別の説教をしたところです。彼はエペソの教会で3年間
伝道をしましたので、とても恵まれた教会として成長したのです。
それはパウロがエペソの人々に対して書き送った「エペソ人への手
紙」をみれば、その霊的格調の高さがわかります。
次に、「主イエスの言葉」とありますが、四つの福音書のいずれ
にもこの言葉は見当たりません。これはおそらく聖典を編纂すると
きに漏れた福音書で、「外典」ではないかと推察されます。
しかし、「受けるよりは与える方が、さいわいである」というこ
とは、よほど愛がなければ出来ることではありません。キルケゴー
ル(デンマークのキリスト教思想家1813-1855)は「愛は惜しみ
なく与える」と言いましたが、御霊に満たされてはじめて愛の人に
なるのです。エリコの町にザーカイという取税人がいましたが、彼
もイエスに出会って愛の人に変えられました。そして、「自分の財
産の半分を貧しい人に施し、また不正に取り立てた人には四倍にし
て返す」ほどにまで愛の人に変えられたのです。これはザアカイが
イエスに出会い愛の人に変えられたからです。
どんな人でも愛の人になれば喜んで与える人になれます。その
反面、ケチな人は愛がないからです。わたしたちも御霊に満たされ
て愛の人にされ喜んで与える人になりたいものです。イエスも十字
架上で命を捨て、血潮を流して、わたしたちの罪の贖いを完成して
くださいました。これもイエスの愛の故です。
パレスチナの地にガリラヤ湖と死海という二つの湖があります。
この二つは対照的な性質をしております。上のガリラヤ湖は魚が豊
富な湖ですが、下の死海はその名の通りに魚が一匹も住まない死ん
だ湖です。その二つの湖をヨルダン川がつないでいますが、どうし
てこんなに違うのでしょうか。ガリラヤ湖はその水を下流に流しま
すので湖は常に新鮮です。ところがヨルダン川を下るうちに途中の
岩塩を溶かして、死海に注がれるころには濃い塩分を含んだ水とな
るのです。そして死海はその深さが地中海より低いために外に水を
排水する川がなく溜まりっぱなしになり、太陽によってその水分は
蒸発して塩だけが残るので、そのために魚が住めないような湖とな
ってしまったのです。因みに、海水の塩分濃度は3パーセントです
が、死海の濃度は23パーセントと、約8倍なのです。どうしてこん
な湖になってしまったのかと言えば、死海は受けるばかりで、外に
水を出さないからです。
わたしたちもガリラヤ湖のような与えるクリスチャンになれば、
豊かに魚の住むような恵まれたクリスチャンになれますが、受け
るばかりで与えることをしない人は死海のように死んだクリスチャ
ンとなってしまいます。
参考に、浅漬けの塩分濃度は3パーセント、苦漬けは5パーセン
トだといわれています。ですから死海ではどんなに水泳が苦手な、
金槌の人でも水に浮くのだそうです。
コリント人への第二の手紙9章6節以下に『わたしの考えはこ
うである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かに
まく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでな
く、また、しいられてでもなく、自ら心で決められたとおりにす
べきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである』とあり
ます。
1955年(平成7年)に起こった「阪神淡路大震災」のときの
ことを少し話します。あのとき10日間の間に全国の活水の群の
教会と信徒の方々からたくさんのお見舞金を頂戴しました。それ
を計算すると丁度三百万円ありましたので、それを前にして神様
に祈りました。「こんなにたくさんのお見舞い金を送っていただ
き感謝します。これで教会を修復しますので、皆さんを豊かに祝
福してください…。」すると、「それを教会員の皆さんに送って
あげなさい」と示されましたので、早速、全壊の教会員の数を調
べると30軒ありましたので10万円ずつ現金封筒に入れて、「これ
は活水の教会と信徒の皆さんから送られたお見舞金です」と送り
ました。
その後、「神様、あなたの言われたようにみんな送りましたの
で、教会の修復のことは神様にお任せします」と祈りました。す
ると、火災保険の会社から電話があり、「あんまりご近所の被害
が酷いので、全壊と判定します」と言って一千万円近く地震保険
が出たのです。三百万円を皆様に差し上げたのに、神様はその三
倍の一千万円近くにして返してくださったのです。まさしく、
「受けるよりは与える方が、さいわいである」と言う御言葉の通
りでした。
『神は喜んで施す人を愛してく下さるのである』。また、礼拝
後の給食においても、礼拝に来られた皆さんの食べ物を一週間か
けて備えてくださり、毎集会後に給食することができて、皆さん
に喜んでいただけました。この食べ物はいろんなところから(な
かには全く知らないところから)「山手教会に届けるようにとい
われました」と言って届けていただき、三ヶ月の間、給食をつづ
けることができたのです。しかも最後の方は百名を超える出席者
でしたが、神は備えてくださったのです。
(Sep,16,2012)
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