ひ と り の 人 の ゆ え に
『長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な
季節になったので、パウロは人々に警告して言った、「皆さん、
わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、
われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」。しか
し百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主のほうを信頼した』。 (使徒行伝27章9-11節)
パウロはユダヤ人たちから嫌われていました。それは、彼が熱心
なユダヤ教徒で「反キリスト」の立場であって、キリスト教徒に迫
害をしていたのに、イエス・キリストの復活を宣べ伝える立場に転
向したためです。これはユダヤ教徒の人たちからすれば裏切りにす
ぎなかったからです。そこで様々と迫害を受けるようになりました。
そして、第三回伝道旅行からエルサレムに帰ったときに捕えられて
裁判にかけられようとしたとき、彼は「自分はローマの市民権を持っ
た者なのにユダヤの裁判を受けるのは相応しくない」とローマ皇帝に
上告したため、ローマに護送して裁判を受けることになりました。そ
して、この出来事はその道中のことでした。
(パウロの市民権はお父さんがお金で買ったもののようです)。
カイザリヤから船出をして地中海沿岸を航行して、今日のクレテ島
の「良い港」にまできたときに、パウロが既に航海が危険な季節にな
っていたので、「これ以上航海を続けないように」と警告しましたが、
百卒長はパウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼して航海を続け
たために「ユウラクオン」という暴風雨に遭遇してしまいました。
そして、14日間も嵐に悩まし続けられたので「人々は積荷を捨て
はじめ、三日目には船具まで捨てなければならない状況となったの
です。パウロの意見を聞いておればこんな危険な目に会わなかった
のに、彼らは自分の思い、欲で行動をしたためでした。わたしたち
も自分の考えだけで行動をしないで、よく祈って神の導きに従うこ
とが肝要です。
その時、パウロは「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞き
いれて、クレテから出なかったら、このような危険や損失を被らな
くてすんだはずであった。だが、この際にお勧めする。元気を出し
なさい。あなたがたの中でで、生命を失うものは、ひとりもいない
であろう」。また、「たしかに髪の毛ひとすじでも、あなたがたの
頭から失われることはない」と励ましました。
ところが、パウロの言葉のとおりに嵐はやみ、全部の者が上陸
して救われたのです。パウロの言葉を信じて従っておればこんな
危険な目に遭遇することなく、また損害を受けなかったのに…。
われわれも自分の考えで判断するのではなく、よく祈って神の声
に聞き従うことがたいせつです。
これからが今日の本旨です。なぜパウロの言った通りに全員の
生命が救われたのでしょうか。それは船の中に「神を畏れる人」
パウロが乗船していたからです。ペテロ前書3章12節に『主の目
は義人(神を畏れる正しい人)たちに注がれ、主の耳は彼らの祈
りにかたむく』とあります。神はいつも神を畏れる正しい人を見
守っておられるのです。パウロという神の人が乗船していたから
皆が守られたのです。
わたしは、よく海外に出かけます。そのとき飛行機の中でいつ
も祈ります。「この飛行機の中にあなたが臨在して守ってくださ
い。パイロットの操縦を祝福してください」と。ひとりの神を畏
れる乗客のために五百人の同乗者(ジャンボの場合)の安全が守
られるのです。また、ひとりの恵まれたクリスチャンのために、
その家族が守られ、祝福を受けるのです。だから皆さんは家族の
宝なのです。
その反対に、ひとりの神に背いた人のために、まわりの多くの
人たちが危険にさらされることがあります。そのいい例が「預言
者ヨナ」です。彼は神からニネベに行って伝道をするように命じ
られましたが、ニネベに行くことを恐れてタルシシに逃れました。
ところがその船が嵐に遭遇し、死の覚悟をしなければならない目
に遭ったのです。それは神に背いた人が乗っていたからです。
わたしたちも道行きするときに相手を十分に吟味することをお
勧めします。でないとどんな災難に巻き込まれるかわからないか
らです。詩篇1篇1節『悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の
道にたたず、(神を)あざける者の座にすわらぬ人はさいわいで
ある』とありますが、神を畏れぬ不敬虔な人たちと行動を共にし
ておれば、こちらも巻き込まれ、地獄までも道行きをさせられま
す。だから、付き合う相手に十分に気をつけることです。クリス
チャンはなるべくこの世の人と付き合わぬようにすることが大切
です。(これはなかなか難しいことですが)。
また、コリント後書6章14節には『不信者とつり合わないく
びきを共にするな。義と不義と何の関わりがあるか。光と闇と何
の交わりがあるか。キリストとべリアル(サタンの別名で、乱れ
た邪悪のものの主という意味)となんの調和があるか。信者と不
信者となんの関係があるか。…わたしたちは生ける神の宮である。
…だから「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言わ
れる。そして汚れたものに触れてはならない』とあります。
(Sep,23,2012)
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