奇 跡 が 起 こ っ た の は
『イエスは、この最初のしるし(奇蹟)をガリラヤのカナで行
い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた』 (ヨハネ福音書2章11節)
先週まで使徒行伝を通して学んできましたが、今日から
「ヨハネによる福音書」を通して導かれていきたいと思います。
そして最初はガリラヤのカナの婚宴で、イエスが水をぶどう酒
に変えられた奇跡を通して学びます。
「水をぶどう酒に変えるなんて、そんな奇跡は信じられない」
という人がいるかもしれませんが、人間の知性で信じられない
ことが起こるから奇跡で、だれでも信じられる、また納得でき
ることなら、それは奇蹟とは言いません。
さて、その奇跡が起こったのはガリラヤのカナの婚宴でした。
ここはイエスの住んでいたナザレから13キロほど離れたとこ
ろにあり、イエスの母マリヤの妹の家だったようです。そこで
マリヤが手伝いにきていたものと推察されます。ところが婚宴
の最中にぶどう酒が切れてしまうという不祥事が起きてしまい
ました。そこでマリヤがイエスになんとかしてほしいと助けを
求めましたら、イエスは水をぶどう酒に変えて窮地を救ったの
です。
なぜ、こんな奇跡が起ったのでしょうか。今日はこのことに
ついて四つの面から学びます。先ず第一に、ぶどう酒がなくな
ったとき、すぐにマリヤは婚宴にきていたイエスに助けを求め
たことです。詩篇50篇15節に『悩みの日にわたしを呼べ。わた
しはあなたを助ける』とありますように、わたしたちも困った
ことが起こったとき、いつでも神に祈り求めるならば、神は即
座に助けてくださるのです。
第二は、そこに「ユダヤ人のきよめの習わしに従って、それ
ぞれ四、五斗もはいる石の水がめが六つ置いてあった」とあり
ますが、これは婚宴に出されたぶどう酒が入っていたかめでぶ
どう酒がなくなってしまったので、綺麗に洗われていたもので
した。ですから、イエスから「水を入れろ」と言われたとき、
すぐに水を入れることが出来たのです。もし、使ったままで
放置していたら、咄嗟の場合、間に合わなかったでしょう。
キリストのご再臨のときも、その日がいつかは誰にも知らさ
れていません。ただ突然、思いがけないときにこられますが、
そのときわたしたちが潔められた状態にいなければ、主を迎え
ることができません。ですから、いつ主が来られてもいいよう
に備えていなければなりません。
主がお用いくださる器は、テモテへの第二の手紙2章21節に
『自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主
人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようにな
る』とあります。これは文語訳では『潔められて主の用に適い』
とあります。神が用いられるのは潔められた器です。ですから
御霊によって潔められ、いつでも主の用に適うものでありたい
ものです。
第三は、しもべたちの行動です。イエスから「かめに水を入
れるように」と命じられたとき、しもべたちは何の疑いもなく
従ったところです。「四、五斗も入るかめが六つ」とあります
が、これは相当な量です。しかも、なんの疑問も抱かず「口の
ところまでいっぱいに入れた」とあります。この従順があった
から奇蹟が起こったのです。
最後に、奇蹟が起こったのは、この婚宴にイエスが招待され
ていたからです。わたしたちの人生にも、思いがけない突発事
件が起こるものです。そんなときにイエスが共におられるなら
なんにも恐れることはありません。主が即座に問題を解決して
くださるからです。先週お話しをしたとき、パウロが同乗して
いたのでひとりの命も失われることなく全員が救われたのです。
詩篇16篇8節に『わたしは常に主をわたしの前に置く、主が
わたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない』と
あります。この「動かされることはない」というのは、動揺し
ないという意味です。ですから、いつでも主と一緒に歩むこと
です。それがクリスチャンの生きかたです。
(Sep,30,2012)
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