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2012.10.07
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  イ エ ス の 宮 潔 の 意 味

 

 

『ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに
上られた。そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮
の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造
り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その
台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持っ
てここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と
言われた』。         (ヨハネ福音書2章13-16節)



 これはイエスが過越の祭りの前にエルサレムに上り、宮潔を
されたところです。これは象徴的な行為だったのですが、こん
なことをしてもイエスがいなくなれば、また彼らは商売を続け
るに違いありません。ですからここでイエスがなされたのは、
宮は神聖なところで、世俗の貪欲で汚してはならないというこ
とを民衆に示すことでした。

 そのまえに「過越の祭」とは、イスラエルの三大祭の一つで
イスラエル民族の起源をあらわすもので、イエスの時代まで一
千五百年もの間、大切に守られてきたのです。そのはじまりは
イスラエル民族の出エジプトにあります。長い間エジプトで奴
隷として使役されてきた民族を、神はモーセを用いて出エジ
トをしたのです。そのとき民は羊を殺してその血をかもいと二
つの柱に塗ったので主は過越したのです。またそのとき、彼ら
は言われるままに種いれぬパンと苦菜を食べましたので、それ
を伝統として守られてきました。「種いれぬパン」とはイース
ト菌の入らないパンで、インド料理のナンのようなものです。
そして、この祭を大切に守り、外国に住んでいるユダヤ人もこ
のときはエルサレムに帰ってきて祝ったのです。

 マタイ福音書21章13節には『わたしの家は祈の家ととなえ
られるべきである』と言われていますが、神殿は神を礼拝する
神聖なところです。『それだのに、あなたがたはそれを強盗の
巣にしている』とまで言われています。そしてなわでむちを造
り、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえして、はとを
売る人々を追い出したのです。

 鳩を売る商売、また両替商はもともとエルサレムに詣でる巡
礼者の便宜のためにはじめられたもので、遠くから来る巡礼者
は犠牲としてささげる羊たちをもって来ることが困難でした。
そこで巡礼者たちのために始められたものでした。また、両替
商も外国から来る巡礼者たちの便宜のためのもので、外国から
来る人は外国の貨幣をもってきましたので、それをイスラエル
の貨幣に両替をしたのです。なぜならローマの貨幣にはローマ
皇帝の肖像が刻んでいますのでユダヤ人はそれを嫌ったのです。

 さて、ここからが今日の焦点です。コリント前書3章16節に
『あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っ
ていることを知らないのか。…神の宮は聖なるものであり、そ
して、あなたがたはその宮なのだからである』とあります。こ
のようにクリスチャンは神の宮です。イエス・キリストの十字
架の贖いにより罪を赦されて神の子とされました。ですから、
御霊に満たされていつも神聖に保っていなければなりません。
不潔な思いや貪欲、俗悪なもので汚しては、神はそんなところ
には内住してくださいません。ですからいつでも御霊が内住し
ているように、御霊によって潔められていることが大切です。
礼拝はわたしたちクリスチャンの宮潔めのときです。

 わたしたちが恵まれた、そして力強い人生を送るためには、
日曜毎の礼拝生活を守ることが大切です。ご臨在に近づいて
礼拝を捧げるときに、神はわたしたちに新しい力と祝福をく
ださいます。これが礼拝です。

 わたしたちの礼拝は、決して「わたしは一週間勝利でした」
と言った勇ましいものばかりでなく、俗悪の社会のなかで魂
は疲れ果ててぼろぼろになって、やっとの思いで教会にたどり
着くような日曜日であるかもしれません。しかし教会にきてご
臨在に近づくとき、神はわたしたちにまた新しい力を与えて力
づけてくださるのです。


 ある人は「礼拝はわたしたちの魂についた貝殻を取り除く
ときである」と言いました。神戸には二つの大きな造船所が
あります。造船所はただ船を造るだけでなく、もう一つ大き
な仕事があると聞きました。それは船の底についた貝殻を取
り除く仕事です。長い間、遠洋航海をすると船のそこにたく
さんの貝殻がつき、それが水の抵抗となりスピードが遅くな
るそうです。それが同じスピードで走らせようとするとたく
さんの燃費がかかるそうです。ですから船を休ませてでも
ドッグに入れて貝殻を取るほうが経済効率が上がるのです。

 わたしたちが一週間のこの世の旅をしてくると魂にたくさ
んの貝殻がつきます。しかし教会に来てご臨在に近づくとき、
聖霊がわたしたちの魂を潔めてくださるのです。そうすれば
また一週間、力強く生きていけるのです。ですから礼拝を忠
実に守って魂が潔められ、神の宮とされたいものと願ってお
ります。                (Oct,07,2012)