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2016年12月25日

ほんとうのクリスマス

 

『神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』。(ヨハネ福音書316節)

 

 クリスマスおめでとうございます。今日は約二千年前にこの世に誕生されたイエスのご降誕を祝う日で、全世界のキリスト教徒によって記念し祝われる日です。二千年たってもこのように祝われるのは、ただ個人としての誕生ではなく、わたしたちの救い主として生まれてくださったからです。ある人がこんなことを言いました。「人間はだれしも生きるために生まれてくる。しかしイエスは十字架に掛かるために生まれてきた」と。

 

 さて先日、外国からクリスマスカードが送られてきましたが、そのなかに一通「ハッピーホリデー」というカードがありました。これはクリスチャンでない人のカードでした。

彼らはクリスマスの意味を本当によく知っているので、ノンクリスチャンは「メリークリスマス」という言葉を使うのを避けたからです。「メリークリスマス」とは、キリストの誕生おめでとうという意味ですから、これを避けてあえて「ハッピーホリデー」という言葉を使っているのです。そして大きなショッピングモール(大規模な商業施設)でもクリスマスセールとしないで、「ハッピーホリデー・セール」として年末のセールをしているところもあります。ところが、日本人はこの「メリー・クリスマス」という言葉の本当の意味を知らないので、平気でクリスマスセールをしているのです。外国から来た人が、日本がキリスト教国になったと誤解されるほどです。

 

 話は変わりますが、昔(戦前)はクリスマスは教会だけのもので、実に静かなものでした。商店街でも歳末商戦はやっていても、クリスマスセールはありませんでした。ところが、クリスマスがこんなに賑やかになったのは戦後(今から70年前から)です。日本に進駐してきた米軍が日本にくまなくキャンプを作って駐留したのです。神戸でも、イーストキャンプ・ウエストキャンプがありました。イーストキャンプは三宮のそごう百貨店の東あたりにかまぼこ兵舎があり、大勢の兵隊が駐留していました。またウエストキャンプは湊川神社の前あたりにキャンプ場がありました。

 

 彼らはクリスマスになると、本国で家族とクリスマスを迎えられない寂しさで、町に出てきて酒を飲んで大騒ぎをしたものですから、日本人はクリスマスは酒を飲んで大騒ぎするものだと誤解をしたのです。あるとき、クリスマスの集会のチラシを配っていたとき、それを見たお婆さんが、「ドンチャン騒ぎですか」と言われて閉口しました。

クリスマスは聖夜です。教会で静かに神を礼拝するのがほんとうのクリスマスです。

 

 次に、クリスマスの主役はプレゼントです。親から子供に、また親しい友人に、また日頃お世話になっている方々にお歳暮の意味をかねてプレゼントをする人もあるでしょう。しかし最大、最高のプレゼントは、神から人類に賜ったイエス・キリストです。ヨハネ福音書3章16節に「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。つまり、この御子のご降誕は、神の愛が人類に注がれた日です。

 

 また、ヨハネ第一4章9節に「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである」。また10節には「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」とあります。

 

 そのイエスは「あがないの供え物として」とあります。人間は神に対して罪を犯した場合は、その罪の報いをしなければなりません。しかし、そんな罪を贖うためには祭壇の前に羊や鳩を供えて殺し、血を流して焼き、その香りを天に上らせて償わなければなりません。そんなことをすればわたしたちの命はいくらあっても足りません。そこで子なる神がご自身の身を燔祭の小羊として十字架に掛かって死に、わたしたちの罪を贖ってくださいました。ここに神の愛、またイエスの愛があるのです。

 

 このような大きな犠牲を払ってわたしたちの罪をあがなってくださいました。ですから、わたしたちも神を愛し、イエスを愛し、また互いに愛し合うことが、神の愛に報いる道である。

 

【燔祭とは】古代ユダヤ教で、神の赦しをえるために、供えられた動物を祭壇で全部焼いて神に捧げた行事

 

                          (2016.12.25