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2017年5月21日

イエスの昇天について

 

『こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝1章9節)

 

 今日はイエスの昇天について話します。墓から復活されたイエスは弟子たちの前にたびたび現れてご自身をお示しになったので、弟子たちはイエスの復活を信じました。それからイエスは40日目に弟子たちや多くの群衆の見守るなかを、雲に迎えられて天にご昇天されたのです。

 

 聖書を注意深く読んでおられる方は、ここではたと疑問を持たれるかも知れません。それはイエスが生前、弟子たちに対して、「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ福音書28章20節)と言われたお言葉は一体どうなったのでしょうか。それはヨハネ福音書14章16節に「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである」とあります。つまり、イエスの昇天に代わって真理の御霊、つまり聖霊が下ってわたしたちと共にいて下さるというのです。それが十日後の聖霊降臨です。

 

 さて、天にご昇天されたイエスは今は何をしておられるのでしょうか。ローマ書8章34節にこうあります。「キリスト・イエスは死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」とあります。また、ヘブル書7章25節にも「彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」とあります。つまり、天にご昇天なさったイエスは神の右で、わたしたちのために神に執り成していてくださるのです。

 

 わたしたちが祈るとき、その最後に「イエスのみ名によってお願いします」と終わりますが、これは決して祈りの締めくくりの言葉ではありません。イエスを通してお願いするときに、その祈りを神の右におられるイエスが神に執り成してくださるので、その神は聞いてくださるのです。

 

 こんな話があります。ある日、お母さんがまだ小さい子どもに「今日はお父さんにお手紙を書くから、何か言ってほしいことない」と言いますと、子どもが「僕、お父さんに手紙を書く」と言ったのです。まだ字も書けないのにと思っていたら、子どもが葉書に絵を描いたのです。それは、と|でした。そして後日、お父さんから、その子どもの願いどおりの物が送られてきたので喜びました。どうしてお父さんは、こんな判じ物のような手紙が分かったのでしょうか。それはお母さんが取り成したからです。「お父さん、坊やが初めて手紙を書きました。は鉄兜(ヘルメット)、は背囊(兵隊が背中に背負うもの)です。|はライフルです」と説明をしたので、お父さんにもよく分かったのです。

 

 ヨハネ福音書14章14節には「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」とあります。どんなことでもイエスの名によって願うならば、聞いてくださる、と言うのです。ですから、みなさんも、イエス・キリストの御名によって祈ってください。

 

 あるお婆さんが孫に、「わたしが天国に召されるときには、だれからも、しもの世話をしてもらいたくない」と言いました。そこで孫は「それなら、そうお願いすればいい」と話しました。それから、そのお婆さんは、、一日三度の食事のときに、食事の感謝のお祈りよりも、「わたしが天国に召されるときには、だれからも、しもの世話をしてもらわないで、召してください」と、そればから祈っていました。

 

 それから間もなく、お婆さんは体調を崩して救急車で運ばれました。そこでわたしは駆けつけましたら、家族の皆さんがベッドを取り囲んで、臨終のときを待っていました。そこでわたしは、そのお婆さんの頭に手を置いて祈りました。「このお婆さんを今、平安のうちに、あなたの御国に召してください」と。それから間もなく静かに息を引き取りましたが厳かな召天でした。そのときに気がつきました。お婆さんは救急車で運ばれてから、誰からも、しもの世話をしてもらわなかったことを。お婆さんの祈りのとおりになったのです。(2017.5.21