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2017年5月28日

待ち望みの祈り会

 

『それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。

彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈りをしていた』。(使徒行伝1章12節)

 

 今日は、ペンテコステの待ち望みの祈り会について話します。イエスが復活されてから四十日目に、弟子や多くの群衆の見守るなかを雲に包まれて天にご昇天なさいました。(このイエスが今なにをしておられるかについては先週話しました。)

 

 さて、イエスがご昇天される前に「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」と言われたお言葉に従って、エルサレムのとある家(マルコのお母さんの家ではないかと言われています)に集まって祈っていました。その数は120名ばかりの者と言われています。

 

 そこに聖霊が下ったのです。これがペンテコステ(聖霊降臨日)で、一同が御霊に満たされて初代キリスト教会(エルサレム教会)が誕生したのです。つまりキリスト教会の誕生の日となったのです。ペンテコステのことは来週に話します。

 

 そこで今日は、この待ち望みの祈り会に集まっていた人たちの顔ぶれは、先ずイエスの11名の弟子たちの名前が記されていますが、これは当然のことでしょう。ところが、それに続いて「イエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たち」とあります。これはなんとなく読み過ごしやすいところですが、よく考えてみるとすごいことに気がつかれると思います。

 

 マタイ福音書12章46節以下に「イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた」とあります。これはイエスの公生涯(伝道生涯)のことが理解できない兄弟たちが、イエスを家に連れ戻そうと迎えに来たときのことです。イエスの兄弟たちは、イエスの働きを理解できずにいました。そしてまた、このころ父ヨセフが亡くなっていたので、長男のイエスに、家に帰って家業を継いでお母さんや家族を養ってほしいと、連れ戻しにきたのです。(父ヨセフの家業は大工でしたが、このころの大工は今日のような家を建てるような大工ではなく、テーブルや椅子を作るような職人だったようです。)

 

 そして、13章にはその兄弟たちの名前があります。「そして郷里に行き、会堂で人々を数えられたところ、彼らは驚いて言った。「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたしと一緒にいるではないか…」イエスは聖霊によって処女降臨しましたが、これらの兄弟は、その後、ヨセフとマリヤが正式に結婚して生まれた子供たちです。

 

 ですから兄弟たちは、初めのうちはイエスの立場を理解できませんでしたが、おそらくイエスの十字架と復活という一連の出来事を通して考え方が変わったのだと考えられます。

 

使徒行伝16章31節に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」ありますが、わたしたちも、初めは家族から信じられなくても、必ず信じてもらえるときがあります。

 

 この兄弟のなかの長男ヤコブはエルサレム教会の初代の監督をして、いい働きをしています。とくに最初にエルサレム会議を開いて難問を解決したことは有名です。それはパウロが外国伝道をすることによって外国人(異邦人)にが次々と信仰に入りました。するとエルサレムから保守的な指導者がきて、改宗したのなら、われわれと同じように割礼を受けるようにと勧めたのです。しかしパウロの考え方は、割礼はユダヤ人が律法で定められていることで、異邦人はそれに倣う必要はないという意見でした。そこでこの問題を解決するためにエルサレムに集まって開かれた会議でした。その結果、異邦人には割礼の必要がない、という結論になったのです。

 

 このヤコブは敬虔な人で、いつも跪いて祈っていたので、膝はラクダの瘤のようになっていた、と言われています。また反対派に塔から突き落とされて殺されたときも、最後に「父よ、彼らをお赦しください…」と、イエスが十字架上で祈られたのと同じ祈りを唱えていたと言われています。(2017.5.28