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2017年11月12日


神こそわが岩、わが救い  

 

『わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない』。(詩篇621節)

 

 

 この詩はダビデの作で、神に対する絶対的信頼をうたったものであります。この中で、「ただ神をまつ」「神こそ…」とありますが、これは神だけが唯一の救いであり、力であることを言い表しております。人間が究極的極限状態に追い詰められたとき、たとえば自分の力が尽き果てたとき、あるいは医師から見放されたとき、神だけが唯一の望みとなってくるのです。このようなときにクリスチャンは救いを求める神をもっているから幸せです。詩篇910節『み名を知る者はあなたにより頼みます。主よ、あなたを尋ね求める者を、あなたは捨てられたことがないからです』。

 

 このような極限状態にあるとき、何処に救いを求めてよいか、何に寄り頼んでよいかを知らない者は不幸であります。しかし、幸いなことにクリスチャンは主のみ名を知っておりますから神に救いを求めます。そうすれば『為ん方尽きても望みを失わず』とパウロが言っておりますように、いたずらに失望したり、絶望するようなことはありません。「み名を知る」とは神がどんなお方か、愛の方か恵みの方か、そのご性質を知ることです。つまり、そのことによって多少の困難や戦いがあっても失望しないで、神に寄り頼むことができるからです。

 

 

 40年ほど前のことです、ある姉が平安の裡に天にお召されになりました。私は午前5時から夕方4時まで11時間病床にて看取りましたが、その最期は実に平安そのものでまるで眠るがごとき臨終でした。30日に教会で告別式を営みましたが、参列者も400名とも500名とも言われるほどの、実に盛大なご葬儀でした。多くの人々に別れを惜しまれて送られた有り様は、姉妹の生涯の働きの大きさが明らかになったのです。その姉妹が召される三日前の金曜日に病院を訪問して「何か私にしてあげられることはありませんか」と言いましたら、「祈ってくださるだけで結構です。お祈りをお願いします」と申されました。そこで病床でしばらくの間祈りましたが、姉妹は実に平安そのものといった様子で、喜んでくださいました。

 

 次に、日曜日の礼拝中に「危篤だ」という知らせがありましたので、礼拝後すぐに病院に駆けつけました。ところが背中が痛まれる様子で大変苦しそうでした。早速背中をなでながら祈らせていただきました。すると不思議なように苦しさが消え平安になられたのです。でもときどき痛みが襲ってくるため顔をしかめられます。それを見てすぐに祈りはじめますと、また平安になられるのです。姉妹は言葉にならない言葉で「ありがとうございます」と唇を動かされるのです。医師からもさじを投げられた極限状態に置かれた姉妹にとっては、祈りだけが唯一の慰めであり力であったのです。

 

 私たちも姉妹のように、医師の力にも限界があり、人から見放され、この世の富も権力も当てにならぬといった極限に追い詰められたとき、最後に頼るべきお方は神だけであります。ダビデが言ったように「ただ神を…」「神こそ…」となってくるのです。そして神はその求めに答えてくださるのです。何故なら「主よ、あなたを尋ね求める者を、あなたは捨てられたことがないからです」。普段、不信心であまり祈らない人でも、神のみ前に砕かれて祈るとき、神はそれに答えて救ってくださるのです。それは神が愛なるお方であるからです。世の中では「お前みたいな不義理なものは…」と相手にされないようなことがあっても、神は愛なる方ですからそのような者の祈りでも聞いてくださるのです。そして力づけ、慰め、助けてくださるのです。これも神のみ名のゆえであります。

 

 また、詩篇5015節にも『悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう』とあります。ここで主は「悩みの日に…」と言われるのです。これが世の中だったらどうでしょうか。「困ったときばかりきて…」」といっていい顔をされません。しかし、神は愛なるお方ですから「困ったときにこそ私のところに来なさい。助けてあげよう」と仰ってくださるのです。詩篇33節『しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、わたしの頭を、もたげてくださるかたです』。ダビデ王は息子アザサロムに背かれた上に部下からも裏切られ、見捨てられてしまいました。全く四面楚歌といった状況でしたが、そんな彼を救ったのは「しかし主よ…」と神を見上げる信仰により勝利に変えられたのです。わたしたちもいろいろな問題に出くわし、もう人も当てにならぬ富も権力もだめだ、といった抜き差しならぬ状況に置かれたとき、最後の頼みは神だけです。「わが魂はもだしてただ神をまつ」。「神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである」とダビデが歌いましたのは真理であります。この神を信じ、この神に寄り頼んで生かしていただくことができるのは本当に幸いであります。(20017.11.12