本文へスキップ

message

2018年2月11日



知恵について  

 

『あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう』。(ヤコブ15節)

 

 

 先週からヤコブ書を通して導かれていますが、今回は知恵についてお話します。知恵は神からの賜物です。「すべての人に与える神に願い求めるがよい。そうすれば与えられる」とありますが、祈り求める者に与えれるのです。箴言26節に「主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである」といあります。ですから、神からの知恵を求めるならば、神に祈り求めれば与えられるのです。

 

 今から三千年ほど前に、イスラエルにソロモンという王がいました。彼は大変な知恵者で、その噂は古今東西に知られ、諸国からソロモンの知恵を聞くためにきたほどでした。聖書にはこうあります。列王記上429節~34節「神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海辺の砂原のように広い心を授けられた。ソロモンの知恵は東の人々の知恵とエジプトのすべての知恵にまさった。…その名声は周囲のすべての国々に聞こえた。

彼はまた箴言三千を説いた。またその歌は一千五首あった。彼はまた草木のことを論じてレバノンの香柏から石がきにはいえるヒソプにまで及んだ。彼はまた獣と鳥と這うものと魚のことを論じた。諸国の人々はソロモンの知恵を聞くためにきた。地の諸王はソロモンの知恵を聞いて人をつかわした」とあります。そして彼は、箴言、伝道の書、雅歌の詩歌をつくりました。その名声を聞いて遠く外国から来た人のなかに、シバの女王の訪問は有名な話です。(シバは今日のアラビア半島の最南端にあるイエメンです)

 

 この知恵はどうして与えられたのでしょうか。列王記上33節以下に、「ソロモンは主を愛し」とあります。そこで神はソロモンに「あなたに何を与えようか、求めなさい」と言われたときに、彼は若くしてダビデの後を継いで王になったので、「わたしは小さい子供であって、出入りすることを(どのように民を導いたらいいのか)知りません。…それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください」と求めたのです。

 

 そしてソロモンが求めたことが神の御心に適い、神は「自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える」と言われたのです。

 

 ある先生が言いました。「人間がもって生まれた知恵は、アダムとエバがエデンの園で盗んだ知恵だ」と。神からエデンの園を管理させられたとき、神は彼らに「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われたのです。ところがアダムとエバは蛇(サタン)に騙されて食べてしまったところが「ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので(羞恥心が与えられ)、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」。とあります。だから、人間の知恵は自己中心的なのです。

 

 箴言17節「主を恐れることは知識のはじめである」とあります。神を畏れ敬うことを教えないから、親が苦労して大学を出しても、親に感謝しないばかりか、学歴のない親を馬鹿にして蔑んでしまうのです。

 

 フランスに教育事情を視察に行った人がこんな話をしてくれました。小学校に入学すると、二ヶ月間、みっちりと宗教教育をするそうです。これがキリスト教主義の学校ならいざ知らず、公立学校のことですから驚きました。「神を畏れることを教えない教育は知恵のある悪魔をつくるようなものだ」と言った人がありましたが、人間のいちばん大切なことは、神を畏れ敬うことです。

 

 わたしたち活水の群の創始者、柘植不知人先生は無学な人、学歴のない人でした。ところがひとたび聖霊の知恵と力に満たされたとき、リバイバルの器として尊く用いられたのです、。詩篇119130節に「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」。とあります。まさしく、このみ言葉のとおりでした。皆さんも、知恵に不足していると思っている人があるなら、神を畏れ敬い、神から知恵を得てください。

 

「知恵に不足している者があれば、とがめもせずに惜しみなく、すべての人に与える神に願い求めるがよい。そうすれば与えれる」とあります。

最後に「キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている」とあります。(コロサイ書23節)

2018.2.11