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2018年3月4日

舌を制御すること  

 

『もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。(ヤコブ126節)

 

 

 前にも書きましたが、ヤコブ書は真の信仰は、信仰の行いが伴わなければならないことを説いたものです。これはパウロの主張する「信仰による義」とは異なるようですが、決して矛盾するものではありません。それは、信仰によって義とされた(救われた者)者が、こんどはクリスチャンらしく信仰の行いをすることだからです。

 

 このところで、まず最初に、「舌を制する」とありますが、これは無駄なこと、冗談やふざけたことを言わないことです。冗談やふざけたことには真実味がありません。ですからクリスチャンは舌を制することを心掛けることが大切です。恵まれたクリスチャンの口からでるのは神を崇め、讃美する言葉だけです。

 

 32節に『もし、言葉の上で、あやまちのない人があれば、そういう人は、全身を制御することのできる完全な人である』とあります。しかし、8節には『舌を制する人はひとりもいない。それは制しにくい悪であって、死の毒で満ちている』ともあります。

 

 また、ローマ書313節には、もっと酷いことが書かれています。『彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている』と。

これは、彼らが罪びとで、罪に汚れているからです。ですから御霊(聖霊)によって潔められなければなりません。詩篇1413節に『主よ、わが口に門守を置いて、わたしのくちびるの戸を守ってください』と祈っていますが、わたしたちも御霊によって口びるが潔められたいものです。口びるが汚れているのは心が汚れているからです。「わたしは口は悪いが心はきれいだ」と言った人がありましたが、果たしてどうでしょうか。

 

 イザヤが預言者として召しを受けたとき、彼は「わたしは汚れたくちびるのもので…」と拒んだとき、「この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、わたしの口に触れて言った、見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた。…その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。イザヤはセラピムからくちびるを祭壇の火で潔められたので、彼は預言者として、立つことができたのです。この祭壇の火とは御霊です。われわれも御霊に満たされ、潔められて、主の御用にあずかることができるのです。(セレピムとは、祭壇に仕える天使のことです)。わたしたちも、「潔められて、主の用に適う」のです。

 

 次に、「父なる神のみ前に、清く汚れのない信心とは、困っている孤児ややもめを見舞い」とありますが、孤児ややもめを見舞うとは、愛の行為です。恵まれたクリスチャンは、自分だけが恵まれて喜んでいるばかりか、恵まれない孤児ややもめを見舞うことをする、つまり、弱い者たちに愛の手を差し伸べるのです。

 

また、「世の汚れに染まず、自ら清く保つことにほかならない」とありますが、クリスチャンは世の汚れに染まない人たちです。そしていつも身辺を潔く保つことを大切にします。なぜなら、われわれと世の人たちとは、最後に行くところが違うからです。

 

 コリント後書614節に「不信者と、つりあわないくびきを共にするな」とありますが、くびきとは、二頭の牛で畑を耕すとき、自分勝手な行動をしないようにくびきで二頭を繋ぎます。畑の場合はいいですが、わたしたちが世の中の人と軛(くびき)を一緒にしていると、彼らの力が強いと滅びの世界まで連れていかれますので、十分に気をつけなければなりません。

 

 また、クリスチャンは身辺を潔く保つことが大切です。天国の門は狭き門で、心の汚れたものは入ることができないところです。入ることができる者は、心が潔められた聖徒だけです。ですから、クリスチャンは身辺を清潔にしておかなければなりません。

 

 戦後、間もないころのことです。伝道に熱心な若い女性がいました。彼女は社交ダンスが得意で、これで伝道をしようとしました。三宮の、今は東急ハンズがあるところに大きなダンスホールがありました。そこで踊りながら相手の男性に信仰の話をしながら教会に行くように勧めていましたら、相手の男性が「あなたはクリスチャンですか」と聞きましたので、「はい」と答えたら、「クリスチャンがこんなところにきてはいけません」と言って、帰されたそうです。クリスチャンにはクリスチャンの出入りするところがあります。十分に気をつけたいものです。(2018.3.4