本文へスキップ

message

2018年12月2日



ヨシャパテ王の戦い

 

『この後モアブびと、アンモンびとおよびメウニびとらがヨシャパテと戦おうと攻めてきた。その時ある人がきて、ヨシャパテに告げて言った、「海のかなたのエドムから大軍があなたに攻めて来ます。見よ、彼らはハザゾン・タマル(すなわちエンゲデ)にいます」。そこでヨシャパテは恐れ、主に顔を向けて助けを求め、ユダ全国に断食をふれさせた。それでユダはこぞって集まり、主の助けを求めた』。(歴代志下20章1節~)

 

 

 今日は「ヨシャパテ王の信仰の戦い」について話します。彼は南ユダ王国の四代目の王で、三十五歳のときに王に就任して二十五年間在位しましたが、主を畏れる敬虔な王だったので、17章10節には「ユダの周囲の国々は皆主を畏れ、ヨシャパテと戦うことをしなかった」とあります。また、12節には「こうしてヨシャパテはますます大いになり」とあります。

 

 ところが、この国にモアブ、アンモン、メウニの連合軍が戦いを挑んできたのです。この知らせを聞いたヨシャパテ王は、国には116万の強大な軍事力があったのに、それに頼らないで「主に顔を向けて助けを求め」て全国に断食をさせて祈ったのです。そして、その最後に「われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」と祈りを結んでいます。

 

 つまり、王は国難に際して神に目をつけたのです。これは素晴らしい勝利の秘訣だったのです。どんなときにも、わたしたちがどこに目をつけるかが大切なことです。イザヤ書45章22節に「地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ」とあります。われわれもヨシャパテのように神を仰ぎ望むものでありたい。そうすれば、どんな困難なときも、神が力を与えてくださいます。

 

 また、詩篇3篇3節に、「しかし、主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、わたしの頭を、もたげてくださるかたです」とダビデが歌っていますが、これもダビデの経験から出た詩篇です。ダビデ王は息子アブサロムに背かれてクーデターを起されました。そして、王の子飼いの部下たちまでもが、「彼には神の助けがない」と言って、ダビデを裏切り、「これからは息子さんの時代だ」と、ダビデを見捨てて反乱軍についてしまいました。ですからダビデはまさしく四面楚歌(周り中が敵)です。そして都落ちをしてヨルダン川の東まで逃避したのです。でもダビデは「しかし主よ」と、周りの敵を見ないで、神に目をつけたので勝利の確信が与えられたのです。

 

 そこでヨシャパテがしたことは、「主に向かって歌をうたい、かつさんびをさせ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と歌わせたのです。そして彼らが歌をうたい、讃美し始めた時、主は伏兵を設け、かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわせられたので、彼らは打ち破られ、連合軍ですから統一がありませんので、互いに同士討ちをして滅ぼしあったのです。

 

 ヨシャパテ王の勝利は讃美にありました。柘植不知人先生は「讃美と感謝は信者の両翼である」と言われました。皆さんも教会に来て礼拝のときに讃美歌をうたいますが、これは単にキリスト教の歌ではないのです。つまり讃美歌は神を崇め讃えるうたです。ですから、その気持ちで讃美をしてください。

 

 次に、呟き、不平、不満のあるときろには御霊は働きません。感謝、讃美のあるところに神の力(御霊の力)が働くのです。また呟き、不平、不満があるところにサタンが働きますが、讃美、感謝のあるところにはサタンも近づくことはできません。ですから朝毎に感謝、讃美の生活を送ってください。そうすれば恵まれたクリスチャン生涯を送ることができるのです。

 

 ギリシャ神話にサイレン島の話があります。この島は航海の難所と言われ、これまでこの島の周辺でたくさんの船が難破をしたのです。それはこの島にセイレンという魔女がいて、とても美しい声を発するので、その声にひかれて船乗りたちが引き寄せられて難破をしたのです。(ちなみに、わたしたちが用いているサイレンの語源はここからでています)ところが、このことを知った船長が、ある方法でこの難所を突破したのです。それは船の漕ぎ手に蠟で耳栓をして、大きな声で歌をうたいながら船を漕いだのです。そのためサイレン島の声が聞こえなくて無事通過することができたというのです。わたしたちも、サタンの声が聞こえないように耳栓をして、大きな声で神を讃美していくならば、サタンの誘惑にも負けなでいくことができるのです。(2018.12.2