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2019年2月3日

祭司サムエルの祈り

 

『わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう』。(サムエル記上12章23節)

 

 

 「今日は祭司サムエルの祈りについて話します。彼は自分に対して非難した者たちに向かって、彼らを赦して神に執り成して祈ったいのりです。そこでまず、その背景から話します。

 エジプトで奴隷になっていたイスラエルの民を救出したモーセは、彼らを導いて、40年余りかかって、千年ほどまえにアブラハムたちが住んでいた、カナン(今日のパレスチナ)に導きました。そして、ヨシヤの指導のもとに20数年かかってカナンの全土を征服したのです。しかし、彼らにはまだ王がなく、宗教的指導は祭司がし、また軍事と行政的な働きは士師がしていました。ところが、彼らはサムエルに対して、自分たちにも他の国のように王を与えてくれ、と言ってきたのです。その理由の一つは、彼らがカナンの地を占領したために、その地を追い出されたカナンびとをはじめ、近隣の諸国から憎まれて始終侵略されて交戦を余儀なくされたから、自分たちも軍事的指導者である王をもって強力な国を造りたいた考えたからです。

 

 もうひとつの理由は、サムエルの2人の子供たちの不行跡にありました。彼らは「賂 (まいない)をとって審きを曲げた」とあるように、賄賂次第によっては不正な裁判をしていたので国民からは信用も人気もありませんでした。そして民たちは、サムエルが死んだ後、彼らが後継者となることを恐れたからでした。

 

 そこでサムエルは神に導きを祈りました。すると神は、「王を持つと、どんな苦労があるか教えてやれ」と導かれましたので、ある日、民たちを集めて、王を持つとこんな苦労があると話しました。つまり「王が出来ると、それを守る軍隊が必要になる。すると、お前たちの子供たちが兵隊に駆り出されるぞ」と、しかし民たちは喜んで出そうと言ったのです。「また軍隊を持つと軍事費が必要になるから、今まで以上に税金が取り立てられるぞ」と言うと、「喜んで出そう」と言い、言いだしたら聞かないイスラエルの民でした。そこで誕生したのがベニヤミンびとサウルという王でした。そして、この時からイスラエルは「王国時代」となったのです。

 

 このようにしてサウルが創った王国時代でしたが、彼の心中は複雑でした。それは自分がボイコットされてできた王国だったからです。でもサムエルは神に仕える祭司ですから、彼は民に、「あなたがたは、わたしに対してボイコットをして非礼をした。しかし、わたしは祭司だから、これからもあなたがのために祝福を祈ることを続ける」と言ったのです。

 

 詩篇109篇4節に「彼らは、わが愛に報いて、わたしを非難します。しかし、わたしは彼のために祈ります」とあります。これは正しくサムエルの心境を言ったもののようです。またイエスの「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ福音書5章44節) と言っておられます。サムエルのこの言葉も、愛がなければ言えないことです。

 

 牧師も、いつも皆さんのために一人一人の名前をあげて、その人の祝福を、また健康をと祈ります。これが祭司である牧師の勤めです。ときには、自分に対して良く思わない信者があっても、また、先日、嫌なこと、失礼なことを言ったからといって、その人を飛ばして祈らないことはありません。むしろ、そんな人だからなおさら祈ります。それが祭司の勤めだからです。

 

 ある牧師が、群の人事で地方の教会に遣わされました。ところが、その教会の役員のひとりと反りが合わず、結局は追い出されるような形になって帰ってきました。それから、その牧師は、その教会のために、また信徒のために16年間、祈り続けたのです。 ある年の暮れに、その牧師は年賀状を書いているのを横から奥さんが覗いて、その問題の信徒の名前があるのを見て、「おとうさん、その人には出すのをやめたらどうですか。16年間、1度も返事が来たこともないし...」と言いますと、その牧師は「いや、そんな人だから出さなければならないのだ」と言って出しつづけたのです。

 

 あるとき、有馬温泉でケズイックの集会がありましたので出席しました。受付でその牧師と一諸になりましたので、2人で会場に向かっていたら、その問題の人が廊下の向こうから来たのです。鉢合わせになる、これはえらいことになると思っていたら、その牧師がつかつかと走り寄り、「兄弟、よく来ましたね」と言って、その人の手を握ったのです。するとその人は目に涙をためて、「先生、もうしわけありませんでした」と謝ったのです。そしてその瞬間に、2人の和解ができたのです。劇的光景でした。牧師の16年間の祈りが成就した瞬間でした。
2019.2.3