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2019年2月17日


エリヤの祈り

 

『エリヤはアハブに言った、「大雨の音がするから、上って行って、食い飲みしなさい」。…しかしエリヤはカルメルの頂に登り、地に伏して顔をひざの間に入れて(祈って)いたが、彼はしもべに言った、「上っていって海の方を見なさい」。彼は上っていって、見て、

「何もありません」と言ったので、エリヤは「もう一度行きなさい」と言って七度に及んだ。七度目にしもべは言った、「海から人の手ほどの小さな雲が起っています」。…すると間もなく、雲と風が起り、空が黒くなって大雨が降ってきた』。(列王記上1841節~)

 

 

 今年は新年標語で「祭壇の火は燃え続かせ、これを消してはならない。祭司は朝ごとに薪をくべ…」と与えられ、わたしたちの信仰の火を消さないように、祈りの薪をくべるようにと導かれました。そして一月から旧約聖書に登場する人物の祈りについて学びました。そして今日ははじめにおさらいをします。第一回のアブラハムの祈りは、神が不道徳な町ソドムを滅ぼそうとしたとき、その町に住んでいる甥のロトを救うために神に執り成しています。「愛には恐れがない。全き愛は恐れを除く」とありますが、彼には愛があったので神を畏れず取引することができたのです。

 

 次に、モーセの祈りですが、イスラエルの民が偶像礼拝をして神の怒りに触れたときモーセは、いのちの書からわたしの名前を消してもかまいませんから、わたしに免じてイスラエルの民を赦してくださいと、身命を投げ出して執り成したのです。(以下略)

 

 今日はエリヤの祈りについて話します。彼の祈りは雨が降るまで七度も祈りました。エリヤは北イスラエル王国の七代目のアハブ王のときに活躍した預言者です。アハブ王が外国のツロの王の娘、イゼベルと結婚したとき、イゼベルはツロの偶像、バール信仰を持ち込み、王宮に祭るだけではなく、国民に礼拝を強要したため国内は混乱しました。そこで神は、預言者エリヤを立ててバール信仰と対決させて粛清したのです。

 

 エリヤはアハブ王に対して言っています。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉がないうちは、数年雨も露もないでしょう」と、悔い改めを迫ったのです。そして実際、三年六ヶ月の間、雨が降らずに民は困りました。その後、バールの預言者との対決の後、バール信仰が一掃され、アハブ王も悔い改め、偶像礼拝を捨てたので、今度は雨を降らせなければならなくなりました。

 

 預言者エリヤはカルメル山の頂きに上って、海の方(地中海)に向かって祈りました。その祈りは真剣で「地に伏して顔をひざの間に入れていた」とあります。そして暫くして弟子に、海の方に雨の兆候がないか見に行かせましたが、弟子の返事は「何もありません」でした。それでエリヤはまた祈りましたが、何の兆候が起りませんでした。そしてようやく七度目に、弟子は「海から人の手ほどの小さな雲が起っています」と報告したので、もう大丈夫と山を下りたら「間もなく、雲と風が起り、、空が黒くなって大雨が降ってきた」のです。ヤコブ書517節「エリヤは、雨が降らないようにと祈りをささげたところ、三年六ヶ月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実を実らせた」とあります。

 

 ここで大切なことは、雨が降らないからといって途中で投げ出さないで、祈りが聞かれるまで七度も祈ったことです。つまり「うるまで、なるまで」、完全に聞かれるまで祈り続けることが大切です。祈りは継続です。

 

 

 ルカ福音書119節に「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」とあります。

ここに「求めよ」、「門をたたけ」、また「捜せ」とありますが、これは「求め続けなさい」「門をたたき続けなさい」「捜し続けなさい」ということです。つまり、一度祈っても聞かれなかったら、もうダメだと諦めるのではなく、何度でも、聞かれるまで祈り続けることです。そうすれば神は「しきりに願うので」(求めるの切なるによりて 文語訳)、祈りに答えてくださるのです。

 

 昔、ジョージ・ミュラーという人がいました。彼は孤児の父といわれ、信仰と祈りで生涯六千人の孤児を養い育てたと言われています。その彼が、あるときから五人の友人の救いのために祈りはじめましたが、なかなか直ぐには祈りが聞かれませんでした。それでも挫けず祈りつづけましたら、五年目に一人目の人が救われました。

 二人目の人が救われたのは十年目でした。そしてなんと二十年目に三番目の人と四番目の人が救われたのです。そして最後の人が救われたのはジョージ・ミュラーが死んで数ヶ月後だったそうです。とにかく彼の祈りが聞かれたのです。ですから、わたしたちも忍耐強く、必ず聞かれると信じて祈っていくことが大切です。(2019.2.17