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2019年2月24日


ヒゼキヤの祈り

 

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主は仰せられます。『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。行きながらえることはできません』」。そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、「ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、「引き返して、わたしの民の君ヒザキヤに言いなさい、…「わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。かつ、わたしはあなたのよわい(寿命)を十五年増す」(列王記下201節~)

 

 

 きょうはヒザキヤ王の祈りについて話します。彼は、涙の祈りが神に届き寿命が15年延ばされた人です。彼は南ユダ王国の十三代目の王で、父の死後、25歳から29年間在位した王でした。彼は宗教改革を断行して国内から偶像を一掃した王でした。ですから彼のことを、「ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために、彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった」(下185節)と称賛されるほど優れた王でした。また、彼が死んだとき、「ユダの人々およびエルサレムの住民は皆その死に当って彼に敬意を表した」(歴代志下3233節)とあります。

 

 そのヒゼキヤが病気になって、死期が近づいたとき、預言者イザヤが王宮を尋ねて、「あなたは死にます。生きながらえることはできません」と、神からの言葉を伝えました。それを聞いた王は、「顔を壁に向けて主に祈った」とありますが、顔を壁に向けるとは、雑念が入らないように集中した祈りをしたのです。「またヒゼキヤは激しく泣いた」ともあります。つまり、涙を流すほどの真剣な祈りをささげたのです。

 

 なぜヒゼキヤが激しく泣いて祈ったのでしょうか。これは死を恐れたからではなく、まだ後継者が決まっていなかったので、今自分がいなくなれば、後継者問題で国内が混乱し、国民が苦しむことを心配して、素直に死を受け入れることができなかったのです。

 

 この祈りが神の心を動かし、御心を変えられたのです。預言者イザヤがまだ王宮の中庭を出ないうちに、神はイザヤに告げられたのです。「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい。…わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。かつ、わたしはあなたのよわい(寿命)を十五年増す」と言われて、ヒゼキヤの涙の祈りに答えられて、いままさに危篤といわれていた人が、癒されたばかりか寿命が15年間延ばされたのです。

 

 詩篇68節に「主はわたしの泣く声を聞かれた。主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈りをうけられる」とあります。これはダビデの詩篇ですが、このうたのごとく、神は涙を流すほどの真剣な祈りを聞いてくださる方です。ですから皆様も、なにか問題があるならば、涙を流すほど真剣に祈ってください。神は必ず聞いてくださいます。

 

 姫路の奥に朝来という町があり、そこに活水の群の教会があります。若いころ、毎年のように聖会の御用に招かれておりましたが、あるとき、若い夫人が可愛い子どもさんを連れて来られて、「この子どもは、この聖会で与えられましたので、毎年、お礼参りに連れてきています」という話でした。

 

 その姉妹は姫路の方で、小学校の教員と結婚しましたが、その実家が百姓だったので、嫁として慣れない百姓仕事を手伝わなければならないので、都会育ちのサラリーマンの家庭に育った者としては大変だったそうです。ところがなかなか子どもに恵まれず十年ほど経ってしまい、心ない人の冷たい言葉に心を痛めていました。

 

 あるとき、身体の不自由なお姉さんから「朝来の聖会にいきたいので、連れていってくれ」と頼まれ、初めてキリスト教の集会に出席しました。その集会で、「われは全能の神なり」「人にはできないことも、神に出来ないことがない」との御言葉が与えられましたので、集会の後、お姉さんとふたりで教会の裏山に上って、その御言葉を握って祈ったそうです。聖会から帰ってしばらくして懐妊したのです。十年間も出来なかった子どもが、神の臨在に近づいて涙の祈りを捧げたときに、奇跡が起ったのです。

 

 どうぞ皆さんも、いろいろな問題を抱えておられると思いますが、全能の神を信じて祈っていくならば、ヒゼキヤ王のようにその涙を流すほどの真剣な祈りに答えてくださいますから、信仰をもって祈ってください。(2019.2.24