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2019年3月3日

ヨシャパテの祈り

 

この後モアブびと、アンモンびとおよびメウニびとらがヨシャパテと戦おうと攻めてきた。その時ある人がきて、ヨシャパテに告げて言った、「海のかなたのエドムから大軍があなたに攻めて来ます。見よ、彼らはハザゾン・タマル(すなわちエンゲデ)にいます」。そこでヨシャパテは恐れ、主に顔を向けて助けを求め、ユダ全国に断食をふれさせた。それでユダはこぞって集まり、主の助けを求めた。すなわちユダのすべての町から人々が来て主を求めた』。(歴代志下201節~)

 

 

 今日はヨシャパテ王の祈りについて話します。彼は国難に際したとき、「ヨシャパテは恐れ、主に顔を向けて助けを求めた」とあるように、神に目を付けて祈った人です。

 

 ヨシャパテは南王国の四代目の王で、35歳のときに王位に就き25年間在位しました。彼の功績は宗教改革をして、国内から偶像を一掃したために、国は宗教的にも政治的にも繁栄しました。また近隣の国から貢ぎ物を持ってくるほどでした。

 

 ところが、この国にモアブ、アンモン、メウニの連合軍が攻めてきたとき、ヨシャパテ王は116万人の大軍を持っていたにもかかわらず、それに頼らず、主に顔を向けて助けを求めたのです。そして全国に断食をふれさせたのです。これがヨシャオアテの信仰だったのです。つまり、人間の力を当てにせず神を当てにしたのです。これが勝利の秘訣だったのです。わたしたちも、何かあるときにどこに目がつくか、また、だれに頼るのか、それが問題です。

 

 そして、ヨシャパテの祈りの言葉が5節以下にあります。その最後に「われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」(12節)と、祈りを終えています。つまり、神に目を付けて祈ったのが、勝利となったのです。

 

 次に、聖歌隊をつくり、主に向かって歌をうたい、かつ讃美させ「主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と歌わせたときに、主が伏兵を設けて連合軍に向かわせられたので、彼らは互いに滅ぼし合い、ヨシャパテ軍は勝利しました。その勝利の秘訣は、神に目をつけて祈ったこと、そして神を讃美したことです。わたしたちも、何かあるときに下向きになりやすいですが、神を見上げ、神に目をつけて祈るとき、また讃美するときに神は勝利に変えてくださいます。

 

 今から30数年前にフィリピンのマニラで世界伝道会議が開催されました。世界94か国から6,500人の牧師、宣教師が集い、約2週間の国際会議でした。日本から約50名が出席しましたが、わたしもその一人として出席しました。

 

 そのとき、中国から来た牧師が、こんな話をしていました。中国には政府の公認教会と非公認教会(つまり家の教会)があります。公認教会には宣教の自由がありますが、政府の方針に従った宣教しかできません。ところが非公認教会は地下に潜った教会で、政府の方針に従わないために迫害されていました。その牧師も捕らえられて監獄に収監されていました。そして労働のときに、いちばんきつい、誰もしたくないような労働を命令されるのです。それは便所の槽に胸まであるような長靴をはいて、腰まで糞尿に浸かって掻き出す労働でした。臭くて鼻が曲がるほどだったそうですが、大きな声で讃美歌を歌いながら働いたそうです。つまり。讃美歌を歌うことによって堪えられたそうです。

 

 もう一つは、ソ連から50名の男性牧師が来て、ステージに上がって合唱しましたが、実に心強い合唱で、この国に今何かが起こるような予感がしました。この伝道会議が開かれたのが6月でしたが、その年の秋に世界の歴史を動かすような出来事が起こりました。その発端はルーマニヤの共産党支配の崩壊でした。そしてチャウスクスクは処刑されました。そして、それに呼応するように東欧の共産主義諸国が、まるでドミノ倒しのように崩壊しました。

 

そして1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合されたのです。また1991年にソ連邦が解体してロシアとなりました。これら一連の出来事は、マニラで行われた世界伝道会議が発端になったように思われます。

 

 最後に柘植不知人先生の奥様の祈りについて話します。柘植先生が台湾、朝鮮、満州と海外伝道に出掛けるときに、留守中の食費を置いていかれませんでした。「わたしも片道切符で行くのだから、あなたも信仰で留守番をしなさい」と言って出かけましたので、奥様はがま口を開けて空の財布を上に見せて、「神様、こんな状態です」と、部屋の中をぐるぐると回りながら祈られたそうです。すると不思議なように、各地から献金が送られて養われたそうです。(2019.3.3