本文へスキップ

message

2019年5月19日


ペテロに対するイエスの愛

 

『彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい」』。(ヨハネ福音書2115節)

 

 

 このところは、ペテロに対してイエスの愛がしめされたところです。復活されたイエスと弟子たちが。ガリラヤ湖で一緒に食事をされた後、シモン・ペテロに対して「わたしを愛するか」と三度も言われたので、彼はあることを思い出して心を痛めたのです。

 

 それはイエスが捕らえられて大祭司カヤパのところに連行されたとき、ペテロはその後をついてカヤパの中庭にもぐり込み、その成り行きを見届けようとしました。すると、そこにいた人から「あなたも、あのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言われたとき、彼は「あなたが何を言っているのか、わからない」と打ち消したのです。そんなことが三度あったときに、鶏が鳴いて時を告げたのです。そのとき、イエスが「鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」と言われたことを思い出したのです。

 

 しかし、イエスがペテロに対して三度も「わたしを愛するか」と言われたのは、決してペテロを卑怯者と責めたのではなく、ペテロに対してもう一度、新しい使命を与えるためだったのです。これはペテロに対するイエスの愛だったのです。ですからペテロもイエスの愛に感涙して最後まで従いました。そして西暦64年にネロ皇帝によるキリスト教徒に対する大迫害のときに、彼もキリスト教徒であると告白して殉教しました。

 

 このことは、わたしたちクリスチャンたちにも、大きな喜びと希望が与えらえれるところです。つまり、一度や二度、不信仰を起して失敗しても、「お前のような者はだめだ、信用ならぬ」と見捨てることなく赦して期待してくださるからです。

 

 キリスト教は「赦しの福音」です。ヨハネ福音書317節にも、「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである」とあります。つまり、イエスはこの世の審判者として来られたのではなく、自ら十字架に掛かって、わたしたちの罪を贖い救うためだったのです。

 

 また、ヨハネ福音書815節には、「あなたがたは肉によってさばくが、わたしはだれもさばかない」とあります。その良い例が同じ8章の姦淫の女をイエスのところに連れてきて訴えたとき、イエスは群衆に対して、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言われたとき、だれもこの女に石を投げる者はありませんでした。みんな同じ罪人であることを悟ったからです。そしてイエスも「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」と諭されたとき、この女性は悔い改めて生まれ変わったのです。

 

 人に責められても、批判されても、人はよくならないばかりか、ますます意固地になります。しかし、赦され、愛されて生まれ変わるのです。ちょうど、北極圏の氷が太陽の熱によって溶かされるように…。家庭の子どもさんも、「またこんなことをして」「何度言ったらわかるの」と叱ってばかりしていても決してよくなりません。ますます隠すようになります。

 

 わたしたちは、神から赦された者です。ですから、人を責めてたり、審いたりする資格はありません。むしろ赦された者として赦すことです。マタイ福音書1821節以下に一万タラントの負債を赦された人のことが書いてあります。彼は負債を返せないので、妻や子どもを奴隷として売られようとしたとき、王に哀願しました。王も不憫に思って全額赦してやったのです。

 ところが赦された人が帰り道に、百デナリを貸してまだ返済していない人を見つけたので、その人をつかまえて「借金を返せ」と迫り、返すまで獄に入れたというのです。自分は一万タラントという莫大な負債を赦されていながら、わずか百デナリの負債を赦せなかったのです。

 

 最後に、「神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互いにゆるし合いなさい」。(2019.5.19