本文へスキップ

message

2019年6月30日

最初の迫害事件

 

 

『そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」』。(使徒行伝48節)

 

 

 これは初代エルサレム教会で起った最初の迫害事件です。ペンテコステの日に聖霊に満たされた弟子たちは大胆になり、イエスが復活されたことを語りだしたので、ユダヤ教の指導者たちから迫害を受けたのです。なぜなら、イエスが復活されたのなら、自分たちはメシヤ(救世主)を十字架に掛けて殺したことになるからです。そこで墓守たちに金を渡して、「イエスの亡骸は弟子たちが盗み出した」と言わせたほどです。そこで、ユダヤ教の指導者たちはペテロとヨハネを捕らえて、「なんの権威、まただれの名によってこのことをしたのか尋問したのです。

 

 その時に、ペテロは聖霊に満たされて語っています。「あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである」(10節)。また「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。(12節)と大胆に語ることができたのは、彼らが聖霊に満たされていたからであります。

 

 そこで、「ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬ」と言い渡しました。このとき、彼らは、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい」と大胆に語ることができたのは、彼らが聖霊に満たされていたからです。聖霊に満たされたら、神のほか、なにものも恐れなくなります。人を恐れたり、人の目を気にしたりするのは、聖霊に満たされていないからです。

 

 その後、ペテロとヨハネは仲間のところに帰ってきて祈っています。「主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせてください…」。祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した」(31節)とあります。これが第二のペンテコステだと言われています。われわれも、大胆な、そして力強い信仰生活を送るために最も大切なことは、霊の力に満たされることです。

 

 ダニエル書3章に、王の脅迫にも屈しないで、自分たちの信仰の信念を守り通したヘブル(ユダヤ人)の三青年の話があります。エルサレムがバビロン帝国によって滅ぼされ、エルサレムの主立った者たちが、バビロンの地に捕囚の民として連行されたのです。そして、ネブカデネザル王はユダヤ人の優秀さを知っていたので、彼らのなかの優秀な者を選んでエリート教育をして、将来、バビロンに仕える役人を育てようとしたのです。そして選ばれたのが、ダニエルとシャデラク、メシャク、アベデネコの三青年でした。

 

 あるとき、ネブカデネザル王はドラの平野に、とてつもない大きな金の像を造りました。高さは60キュピト(約27メートル)、幅は6キュピト(約2.7メートル)という大きなものでした。これは王の威信を高め、国家統一を図ることを意図したものでした。そして落成式の日、国民一同が集められて、楽器が鳴り響くなか、一同が頭を下げてこの像を拝むことを強要されたのです。ところが、シャデラク、メシャク、アベデネコの三青年は頭を下げて礼拝をしませんでした。それは十戒に、「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。…それにひれ伏してはならない」(出エジプト記20章)とあったからです。

 

 そのことが王に訴えられ、この三青年は王の前に引き出されて尋問され、王の命令に従わなければ、火の燃える炉の中に投げ込むぞと脅されましたが、そのとき三青年は次のように言っています。「もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。なんと大胆な信仰ではありませんか。彼らがこのような大胆な行動をとることができたのは、彼らが聖霊の力に満たされていたからです。わたしたちも聖霊の力に満たされたら、人も恐れることなく大胆に主を証ししていくことができるのです。「宜しく御霊に満たさるべし」。(2019.6.30