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2019年7月28日


直ぐに従ったピリポ

 

 

『しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。そこで、彼は立って出かけた』。(使徒行伝826節)

 

 

 今日は、ピリポが神の声を聞いたとき、即座に従った話です。つまり直ぐに従ったので大きな恵みを受けたのです。先週はエルサレムの教会が迫害されて、使徒以外の者たちがエルサレムから逃れてユダヤ、サマリヤの地方に散らされて行った話をしましたが、神は「すべてのことを益とされる方」で、散らされて行った人たちは、その地、つまりユダヤ、サマリヤの地方で伝道したので、その地に教会が誕生したのです。これは神の摂理(ご計画)だったのです。

 

 ピリポという人は、イエスの十二弟子ではなく、石で撃ち殺されたステパノと同じく、エルサレム教会が誕生したときに選ばれた執事のひとりでした。そして彼はサマリヤの地方で伝道しましたが、この地方は歴史的にユダヤ人から差別を受けていた人たちだったので、喜んで福音を受け入れました。12節には、「ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた」とあります。

 

 そして、いよいよ盛んになったときに、神はピリポに「ガザに行くように命じられたのです。そのときピリポは神のみ声に即座に従いました。この点が神に用いられた人です。普通なら、今自分がサマリヤ伝道でいい働きをしているので、ガザのような荒れ果てた裏街道みたいなところに行ってなにができる。サマリヤに留まったほうがもっと益になる、と考えやすいものです。

 

 しかし、神のみ声に従ったほうがよかったのです。そのガザ街道で、エチオピアの女王に仕える宦官に出会ったのです。彼はエルサレムで礼拝をして故国エチオピアに帰る道中だったのです。そこでピリポは彼に近づき、信仰の導きをしました。宦官は故国エチオピアに帰って熱心に伝道したので、この国はキリスト教国になったのです。もし、ピリポが神のみ声を聞いても、一日延ばしでぐずぐずしていたら、相手も車で移動していたので出会うことが出来なかったでしょう。まさしくグッドタイミングだったのです。

 

 旧約聖書の創世記12章に、イスラエル民族の祖先となったアブラハムのことが書いてあります。今から四千年前のことです。アブラハム一族がハランに住んでいたときのことです。神がアブラハムに現れて言われました。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」。

 

 この当時は一族郎党が一緒に行動することが、外敵から身を守り、安全に生きる知恵だったのです。ところが神は、親族に別れ、父の家を離れてと言われたのです。でもアブラハムは、神の声に従いました。「アブハラムは主が言われたようにいで立った」(4節)のです。これはアブラハムの信仰による行動でした。ヘブル書118節には、「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った」とあります。

 

 しかも、神の言葉は「どこどこへ行け」という明白な指示ではなく、「わたしが示す地」とだけでした。でもアブラハムはそれに従ったのです。そして神が導かれた地は、カナンの地、きょうのイスラエル民族の国となったパレスチナの地でした。わたしたちも、神のみ声を聞いたなら、素直に信じ従うことが大切です。従うところに恵みがあります。

 

 わたしが神学校を卒業して六十年になります。伝道者となって一年目は東京のある教会に勤めていましたが、長野県長野市の教会の牧師が病気で亡くなりましたので、急遽わたしが遣わされることになりました。26歳のときです。41日に上野駅から、たくさんの方に見送られて出発しました。

 

 赴任した最初の礼拝の後、信徒の方々がお互いに「先生、先生」と言って話をしているのを聞いて当惑しました。あとで分かったのは、その教会には、小学校の校長先生が三人もおられ、教頭が二人、あとは平の教職とその家族の教会だったのです。その教会のはじまりは、師範学校の心理学の教授の家で、弟子たちが集まって始まった家庭集会が発展して出きた教会だったのです。そんな教会に26歳の若造が遣わされのです。もし、そんなことがはじめから分かっていたら、恐らくよう来なかったでしょう。わたしの赴任もまさしく「行く先を知らないで出ていった」のです。しかし、みな教員で子どもを育てるのが本業ですから、わたしもその教会で育てられたのです。その教会には8年間お世話になりましたが、その最後の送別会の席で、「この教会は、わたしの第二の神学校でした」と挨拶して離任しました。(2019.7.28