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2019年8月4日


パウロの回心について

 

『さてサウロ(後のパウロ)は、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。

ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた』。(使徒行伝91節~)

 

 

 今日はパウロの回心について話します。彼はキリスト教のために大きな貢献をした人でした。その一つは、イエスの教えを教理的に体系づけた人です。また、新約聖書のなかのローマ書からピレモン書まではパウロが書き送った書簡です。これは地方の教会に対して書かれたものだけでなく、テモテへの手紙、ピレモンへの手紙など、個人的な書簡も含まれていますが、聖典として大切に保管されているのです。

 

 次に、パウロの大きな貢献は、彼の海外伝道です。彼は三度にわたって海外伝道をして、キリスト教の福音を海外に拡めました。そして最後はローマ帝国にまで拡めたのです。ローマ帝国は、はじめは外から入ってきたものは異端として迫害しましたが、西暦313年にはコンスタンチヌス皇帝が「ミラノの寛容令」を発布して容認し、392年にはテオドシウス皇帝がローマの国教としたのです。そしてキリスト教は世界に拡まって行ったのです。

 

 エルサレムは西暦70年にローマ軍に攻撃されて、壊滅的打撃を受けましたので、もし、パウロやペテロによって外国伝道がなされていなかったら、このとき、エルサレムのキリスト教会も大きな打撃を受けましたから、どうなっていたか分かりません。そういう意味で海外伝道は大きな意味があったのです。

 

 ここから今日の本題ですが、パウロはもともとキリスト教徒ではありませんでした。むしろ彼は最高学府といわれたガマリエルのもとで学んだ門下生で、またユダヤ教の中でも厳格なパリサイ派に属する人で、キリスト教を迫害するのが使命としていた人でした。以前に話したステパノが石打ちの刑で殺されたとき、彼は石を投げる者たちの上着を預かり、後ろからけしかけていた人物だったと書かれています。(758節)。また、「サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った」(83節)とあります。

 

 そしてこのときも、ダマスコのキリスト教徒を見つけ次第、男女の区別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るために、ダマスコ途上にあったとき、突然、天から光がさして、パウロをめぐり照らしたのです。その光景に驚き地に倒れたとき「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」との声を聞き、自分の間違いに気がつき、回心したのです。そして数日後には、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、「このイエスこそ神の子であると説きはじめた」のです。これは正しく百八十度の転換をした回心です。

 

 コリント後書517節に「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」とありますが、どんな人でもイエス・キリストを信じるとき、新しく生まれ変わることができるのです。キリスト教のことを「生まれ変わりの宗教だ」と言われますが、生まれ変わらなければ、そのままでは神の国に入ることができないのです。なぜなら、神の国は聖いところだからです。そして、イエス・キリストを信じて洗礼を受けるなら、神は聖霊の力を注いで生まれ変わらせてくださるのです。ですから、簡単に、「あの人は悪い人だ」とレッテルを貼ってはなりません。

 

 キリスト教の一派に救世軍という団体がありますが、それはイギリスのメソジスト教派から生まれたもので、ロンドンの下町の伝道を目的とした団体です。(神戸にも、湊川神社の東の方にありますが)。その一番の人がブーツ大将です。こんな話があります。ある晩、ブーツ大将とお供の人が、下町を歩いていたら、道端に酔っぱらって寝ている男がいました。そこで、お供の者が「ブーツ大将、こんな男は地獄に落ちるしかありませんね」と言ったとき、ブーツ大将は「こんな男でも、回心したら立派な救世軍の士官になる」と言ったそうです。それから、何年か後、その男は回心して、立派な救世軍の士官になったそうです。

 

 どんな人でもダメな人はいません。パウロのような悪辣非道な人でも、回心をしたとき、神のリバイバルの器として尊く用いられたのです。(2019.8.4