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2020年10月11日
          
   ダビテの幸福論


 『そのとががゆるされ、その罪がおおい消された者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。わたしが自分のつみを言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるびおとろえた。わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとかを主に告白しょう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた』(詩篇32篇1~5節)        


今日はでダビデの幸福論について話します。彼は自分の隠せる罪を告白したときに心に平安を得たのです。彼は今から三千年前に実在した人で、イスラエルを統一して「イスラエル統一王国」をつくった王です。そのため、いまでもイスラエルの国旗の真ん中に三角を二重に重ねたような星を掲げています。これは「ダビデの星」と言われ、イスラエルがダビデの時代のような国になるようにとの願いがこめられているのです。

 ダビデは一介の羊飼いでした。ところが少年時代に、ペリシテ人の大勇士ゴリアテを倒すという手柄を立てました。これは奇跡的出来事でしたが、そのためにサウル軍に迎えられました。そして、次々と手柄を立てるので、「サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した」と言われ、国民的英雄となったのです。そのためにサウル王から妬まれ、危険視されて、いくたびも兪を狙われたのです。そして最後は、ペリシテの地にまで逃れ、アキシ王のところまで亡命したほどでした。

 ところが、自分の命を狙っていたサウル王が戦死したのを聞いたダビデはようやく自由の身になり、故国に帰ったところが、国民から支持されてイスラエルの王となったのです。そして次々と勝利してイスラエル国家を統一したのです。

 そして、絶頂期に彼はとしかえしのつかない失敗をしたのです。それは、ある日、王宮の屋上で昼寝をしていたダビデが、とんでもないものを見てしまったのです。それは近くの民家の中庭で楪になって水浴(日本では行水)している女性の姿をみて色情をいだいたダビデは、その女性を王宮に迎え入れて、関係を結んでしまったのです。その結果、女性は妊娠してしまうたことを知ってダビデは慌てました。なぜなら、その女性の名はバテシバと言い、主人は、いま戦場で戦っている最中で、こんな時に妊娠したとなれば、大変なことになります。しかも、相手がダビデ王だと知れば、王の面目も体面も丸潰れになります。そこで何とかして体面を保つことを考えました。

 その女性バテシバの夫ウリヤを前線から帰したのです。表向きはウリヤから戦況報告を聞いて、その後「ご苦労であった。今晩は家に帰ってゆっくりやすめ」と言って家に帰るように命じましたが、忠臣なウリヤは、家に帰らず王宮の兵営に泊まったのです。それは、いま戦友たちが激戦のさなかにあるのに、自分だけ家に帰ることはいさぎよしとしなかったのです。

 そこで、ダビデは一計を案じ、罪に罪を重ねたのです。ウリヤが前線に帰るとき、ダビデは将軍に手紙を持たせたのです。それには「ウリヤを戦いの最前線に出して殺すように」との命令でした。どこまでも卑劣なダビデでした。そして、ウリヤが作戦とおりに戦死したので、ダビデは王の体面を保つことができたのですが、ダビデは別の苦しみにさいなまれるようになったのです。

 三節に「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時には、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた」とあります。彼にも良心がありましたので、自分の犯した罪でさんざん苦しんだのです。そして、預言者ナタンに隠せる罪を責められ、もうこれ以上、隠すことはできないと、神の前で告白し悔い改めたので、彼の心にはぶめて平安を得たのです。

 五節に「わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、『わたしのとかを主に告白しょう』と。その時、あなたはわたしの犯した罪をゆるされた」と歌ったのです。一節にも「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者は、さいわいである」は、この経験から生まれた答えでした。彼は、自分の隠せる罪を言いあらわし、悔い改めて、はじめて心に平安を得たのです。

 箴言二八章十三節にも「その罪を隠す者は栄えることがない。言いあらわして離れる者は、あわれみをうける」とあります。もう一つ、ヨブ記二二章二一節、「神と和らいで平安を得るがよい。そうすれば、幸福があなたにくる」。

                          坊 向  輝 國