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2022年11月13日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所 使徒行伝14章19節~28節

    「困難と復活信仰」 
      

「わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。 
(Ⅱコリント書1章8節、9節)  


「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない
(使徒行伝14章22節後半) 


「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」             
(ヨハネ福音書16章33節後半)


「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
Ⅰコリント書10章13節

 

 前回は「ルステラの町」でのパウロとバルナバの伝道の記事から、信仰生活で「聞くこと」の大切さを示されました(ローマ10章17節)。また、主なる神様が「天地万物を創造された神」、「忍耐と寛容の神」、全ての人に恵みを与えられる「恵みの神」であるとパウロが説教しました(使徒14章8節~18節)

 この後、パウロが伝道する「ルステラ」とは160km以上離れた「ピシデヤのアンテオケ」と「イコニオム」から、ユダヤ人たちがパウロとバルナバを追いかけてやって来ました。彼らは「ルステラ町」の群衆を仲間に引き入れ、パウロを石打ちにし、彼が死んでしまったと思い込んで、パウロを町の外に引きずり出したのでした(14章19節)。

 パウロがまだ「教会迫害者サウロ」であった時に、伝道者のステパノを石打ちすることに賛成したことがありましたが(8章1節)、今度はパウロが石打ちにされて、ステパノの受けた痛みを自分の生身で味わうことになりました。パウロは、自分の犯した罪を、再び神の前に深く悔いたのかもしれません。

 またパウロは、「志半ばで、死を迎える無念さ」を痛切に感じ、「こんなところで、死んでたまるか」と思ったのではないかと思います。この時点で、使徒パウロは「新約聖書の13の手紙」を一つも書いていません。現代の私たちは人生の危機や辛い時期に、パウロの手紙の一節(例えば、「ローマ書8章28節」「Ⅰコリント書10章13節」他)から慰められ、励まされ、導かれて来たのではと思いますが、その全てを書き残すことなくパウロが召されることは、あってはならないことでした。

 このような、死を目の前にして絶体絶命の使徒パウロが考えていたことが聖書に残されています。「わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、 心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った (Ⅱコリント書1章8節、9節)とパウロは告白していました。

 私たちの「活水の群」の創設者の柘植不知人先生も、晩年に「胃がん」になられて大変苦しまれました。その時、柘植先生は、「この時初めて信仰の奥義を示されました。もはやいたずらに生きることを求めず、死んだ者を甦らせる神に寄り頼み、甦りの信仰に立つべきことを示されました」と証しておられます(『ペンコステの前後』口語版、162頁)。その後、静養先の熱海で先生は、その「甦りの信仰」によって俄然癒され、胃ガンの痛みと苦しみから解放され、「自分の力に頼らず『死にしものを甦らす神を信じ』て、その信仰に立ち、信仰の動作を始めたとき、甦りの力を体験した」と告白しておられます(前掲書179頁参照)。

 使徒パウロも、死に直面した時に神様から与えられた「異邦人に伝道する使命」が残っていました。それで、「自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとする 信仰をもって、「石打ち」による「迫害」を受けって立ったのでしょう。その結果は、弟子達が見守る中、パウロはむくりと体を起し立ち上がり、翌日はバルナバと共に次の伝道地の「デルベ」に向かったのでした(使徒14章20節)

 私たちも「試練」「患難」に遭って、目の前が真っ暗になり「もう駄目だ」と思う時があるかもしれませんが、「自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神」様を頼みとしましょう。主なる神様は、愛と憐れみの力ある御方で、御自身に依り頼む信仰を喜んでくださり、答えて下さいます。

 パウロ達が次に向かった「デルベ」は約50km程離れた辺境の町でしたが、迫害もなく平穏で「大ぜいの人を弟子」とする「成功した伝道」が出来ました。「デルベ人ガイオ」(20章4節)は、この時の実であろうと言われています。

 その後パウロたちは、今まで伝道して来た「石打ちに遭ったルステラの町」と「石打ちに遭いそうになったイコニオムの町」、そして「迫害され、追い出されたアンテオケの町」へ向かって、来た道を引き返しました(14章21節後半~22節)。そのような町々では、またどのような目に遭うかもしれないと思うはずですが、彼らは危険も顧みず、それらの町々の弟子たちを訪れては励まし「信仰を持ちつづけるようにと奨励」(14章22前半)して歩いたのでした。

 その中でパウロとバルナバは、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」(14章22節後半)と語りました。信仰生涯は「信じたら平穏」でなく「信仰を持っていても困難はある」のが信仰者の経験でしょう。主イエス様も「この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ福音書16章33節後半)と言われ、パウロも「 神は真実である。…試錬と同時に…のがれる道も備えて下さる」(Ⅰコリント書10章13節と諭します。私自身も、順調で祈る必要もないと思っている時、「一筋縄でいかない困難」が押し寄せて来ます。その時、「真剣な祈り」に追い込まれて「御顔」を仰ぐ(祈りの)「定位置」に立たせていただきます。

 また、パウロとバルナバは、誕生したばかりの「よちよち歩きの教会」に、正しい福音信仰に生き、聖霊に導かれて良き証がある指導的な信徒を「長老」として立て「断食をして祈り…彼らをその信じている主にゆだねた」とあります(使徒14章23節)。使徒たちはその地を離れて何も出来ないけれど、立てられた「長老たち」と生まれたばかりの信徒たちを、主の守りと支えと恵みの御手に委ねて、その町を後にして伝道旅行を続けたのでした。

 そして、元来た道を「シリヤのアンテオケの教会」に向けて旅路を進め(14章24、25節)、「断食と祈り」とをしてパウロとバルナバの上に手を置いて祈ってくれて、「聖霊に送り出された」(13章3、4節)「アンテオケ教会」に帰り、「神様が…共にいてして下さった数々の」恵みと「信仰の門を異邦人に開いて下さった」証に溢れた「第1回伝道旅行」の報告をしました(14章26、27節)。

 このような困難と闘いの多い「伝道旅行」が、その後何回も行われ、主イエス様の十字架と復活の「福音」が、エルサレムからアジア、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本の私達にも伝えられ、今、私達が主イエス様を信じる者とされているのです。

       2022年11月13日()  聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎