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2021年7月18日聖書朗読箇所(マルコによる福音書13章1節~27節、口語訳)
イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。またオリブ山で、宮にむかってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにお尋ねした。「わたしたちにお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。またそんなことがことごとく成就するような場合には、どんな前兆がありますか」。そこで、イエスは話しはじめられた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 この事が冬おこらぬように祈れ。その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう