聖名と御宝血を崇めます。
「 しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
(Ⅱコリント書12章9節[新改訳2017])
母を亡くすということは、どんな年齢でもとてもつらく、心に深く残る出来事です。
牧師として働き、カウンセラーとして数えきれないほど多くの時間を人々の悲しみに寄り添いながら過ごしてきた人が、母を亡くして悲しみに打ちのめされた時、それはまったく新しい経験となったと言います。悲しみは彼のソファに腰を下ろし、夕食のテーブルに椅子を引き寄せて座り、彼のベッドに横たわり、浴室にまでついてきました。彼は悲しみと共に暮らすことで、悲しみについて学ばなければなりませんでした。
多くの人々の悲しみに寄り添った彼にとっても、悲しみは厳しい教師で、それまでそれほどまでの悲しみを感じたことはありませんでした。人間の慰めでは決して届かないような喪失の深みに、彼は沈みました。悲しみは、また彼を孤立させるものでした。
しかし、彼が経験した中で最も不思議なことがありました。その人はこう言います。「誰も足を踏み入れることのできないその深い悲しみの淵で、私はイエス・キリストと交わりました。イエス様は、私が今まで知らなかった方法で私に会ってくださいました。私は、イエス様の恵みは本当に十分であることを発見しました。それは、聖書の民が何もない荒れ野で毎日必要なだけ与えられたマナ(パン)のように、イエス様の恵みは日々に十分でした。でもそれは、将来のために蓄えることはできないものでした。しかし、どんな時も、毎回、恵みは私と共にあり、それは、その時には十分なものでした。」
私たちは、避けることの出来ない深い悲しみを通る間、私たちと共に歩いてくださり「わたしの恵みはあなたに十分である」と語られる主がおられることを信じて参りましょう。それは、あなたにとって掛け替えのない体験となるでしょう。
2025年11月16日 山手教会牧師 竹内紹一郎
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