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2014年10月26日

「御霊の実」シリーズ④

あなたの寛容を示しなさい

『御霊の実は愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない』。ガラテヤ書522

 

 「御霊の実」シリーズとしてお話していますが、本日は「寛容」について話します。

この寛容という言葉を広辞苑で開きますと、「寛大な心で人を赦し受け入れること。また他人の罪をきびしく責めないという、キリスト教の重要な徳目である」とあります。一般の辞典に「キリスト教の重要な徳目である」とあえて取り上げているのは驚きです。ピリピ書45節に『あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い』とあります。またコロサイ書312節にも『あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身につけなさい』とあります。そして、この寛容も御霊によって神から与えられているものです。そして、これがわたしたちクリスチャンの持つ徳目です。ですから、わたしたちも神から寛容な心をいただいて、人々と仲良く平和に過ごしたいものです。

 

 創世記にイサクという人が登場しますが、彼は平和な人で、人と争ったりした記録はありません。こんな話があります、彼らは遊牧民でよい草のあるところ、水のあるところを転々と移住しておりました。そして知らずしらずのうちにペリシテ人の住む領地に入ってしまったのです。このころは今日のような明確な国境がなかったので、こんなことがよくあったようです。

 

 ところが、そのイサクたちが神の祝福を得て「百倍の収穫を得た」のでペリシテ人たちの妬みをかい、嫌がらせをされるようになりました。具体的にイサクたちが使っていた井戸を取り上げてしまったのです。井戸は遊牧民にとっては不可欠なものです。しかも、この井戸は彼の父アブラハムが掘って使っていたものですから、当然息子のイサクのものです。しかし、このときイサクは自分の権利を主張して争いませんでした。そして彼らはペリシテの地を去ったのです。

 

 そしてゲラルの谷に移住しましたら、こんどはゲラルの谷の人たちがきて、「この水はわれわれのものだ」と言って取り上げました。しかし、この井戸も父アブラハムが掘った井戸ですから、当然イサクに権利がありました。そこでもイサクは争うことを避けてまた移住をしたのです。「主のしもべは争うべからず」とありますが、イサクはどこまでも平和の人で、争いを避けたのです。彼は争う勇気がなかったのでなく、どこまでも平和を愛したのです。

 

 そして最後に到着したのはベエルシバでした。ここは彼らの土地ですから何も言ってくる者がなく平和に過ごすことができました。ところが、ゲラルの人々がイサクのところに来て、「あなたと契約を結びたい」と言ってきたのです。これは「平和条約」のようなもので、イサクがどんなに嫌がらせをされても穏やかに退いていったので、「今にきっと復讐をしてくるにちがいない」と恐れたからです。

 

 しかも「われわれはあなたに害を加えたことはなく、ただ良いことだけをして、安らかに去らせたのですから、あなたはわれわれに悪い事をしてはなりません」と言ってきたのです。あれだけ嫌がらせをしておきながら、よくもこんな事が言えたものです。ところがイサクは「彼らのためにふるまいを設けた」(御馳走をしたの意)のです。イサクはどこまでお人好しなのでしょうか。

 

 そして翌日、彼らと条約を結んで平和のうちにさらせました。ところが、その後、イサクの羊飼いが来て、新しい井戸が見つかったことを知らせたのです。これはイサクの寛容に対する祝福だったのです。神は平和の神です。平和を愛するものを祝福してくださるのです。

 

 次に、こんな話があります。北イスラエル王国の北にスリヤという国はあり、毎年、収穫期が終わったころに国境を越えてきて、百姓が一年かけて丹精した収穫物を奪う、つまり略奪隊でした。ですからイスラエルにとっては憎い敵でした。ところが預言者エリシャの働きによって、彼らはみな捕虜になったのです。喜んだイスラエルの王は、これで積年の恨みが晴らせると思っていたら、預言者エリシャはそれを許さず、「パンと水を彼らの前に供えて食い飲みさせ、その主君のもとにいかせなさい」と告げたのです。

 

 そこで王は、預言者の言うとおりに捕虜の食事を与えて国に返したところが、スリヤの王はいたく感動して、「スリヤの略奪隊は再びイスラエルの地にはこなかった」のです。
 もしこのときに、当時の習わしのように、捕虜は奴隷にされるか、殺されていたら、その復讐のために王は再び軍を送り込んできたに違いありません。

 

 ローマ書1217節以下に『だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人々と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。…もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである(反省するようになる)。悪負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい』とあります。            (2014.10.26