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2015年6月7日

 

 

初代教会の最初の脅迫事件

 

 

『「主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した』。

             (使徒行伝3章31節)

 

 これは初代教会に対してのばされた最初の脅迫です。前回に話したエルサレムの宮の門前で施しを乞うていた男をペテロとヨハネとが癒す奇跡を起こしましたが、その男がそこにいたので、そのことには問題はありませんでしたが、彼らが「イエスの名によって」命じたことが問題となりました。それは彼らもメシヤ信仰(救世主)をもっていましたが、もしイエスがメシヤだとすれば、自分たちはそのメシヤを十字架につけて殺したことになるので、彼らの口を塞ごうとして、彼らを呼び入れ「イエスの名によって」語ることを禁じたのです。

 

 しかしペテロとヨハネはそんな脅迫に恐れることなく、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい」と答えたのです。そして、「いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい」と祈ったときに、「その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した」のです。これが「第二のペンテコステ」だと言われています。

 

 何故、彼らが人を恐れず大胆に答えることができたのでしょうか。それは彼らが聖霊に満たされていたからです。御霊に満たされた人は神を畏れますが、人を恐れません。その反面、神を畏れない人は人を恐れます。

 

 ダニエル書3章には、ネブカデネザル王の脅迫をも恐れなかったヘブルの三青年のことが書かれています。この事件の舞台はバビロンの地でした。イスラエルがバビロンに敗れて多くの人がバビロンの地に捕囚の民として連れてこられました。ところがネブカデネザル王はイスラエルの民は優秀なので三人の青年を選考して、将来バビロンに仕える役人としようと特別教育をしたのです。

 

 ところがあるとき、王がとてつもない大きな金の像を造り、国民に礼拝させようとしたのです。これは王の威信を示すことでした。そして国中で一斉に礼拝しましたが、ヘブルの三青年は従いませんでした。それは「十戒」に「刻んだ像を造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない」と、偶像礼拝を禁じていたからです。そこで彼らはそれを守ったのです。

 

 それを知った王は三青年に「王の命令に従わなければ、火の燃える炉に投げ込むぞ」と脅迫をしましたが、彼らは恐れませんでした。そして彼らが王に対して言った言葉が、「もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出すことができます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。

 

 なんと、大胆な言葉ではありませんか。これは彼らが御霊に満たされていたからです。なんどもいいますが、神を畏れるものは人を恐れないのです。そこで王は彼らをいつもよりも七倍も熱くした炉に投げ込みましたが、「火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、…火のにおいもこれに付かなかった」のです。それを見た王は、「このように救いを施すことのできる神は、ほかにはいない」と言って、三青年の信仰は認められたのです。このように御霊に満たされたら、なにをも恐れることなく大胆に信仰を貫くことができるのです。

 

 日本にもこんな話があります。豊臣秀吉の時代にキリシタンの数は20万人にもなり、これ以上の増加を恐れた秀吉は、1596年12月8日に突然「キリシタン宣教師追放令」を出しました。そして京都のフランシスコ会の宣教師と信徒25名を捕縛して、長崎に護送して処刑したのです。その前に彼らの耳と鼻を剃り落し、八台の牛車に3人づつ乗せて京都、大阪、堺の町を連れまわしてキリシタンたちに対する見せしめにしましたが、彼らの顔は輝き、微笑みさえ浮かべ、その毅然たる態度は多くの人、特にキリシタンの人たちに大きな勇気を与えました。

 

 厳寒の山陽道を長崎に連行されましたが、途中から殉教志願者が紛れ込んだので、長崎についたときには26名となっていました。そこで長崎奉行がいちばん年少の12歳のルドビコを呼んで「もし信仰を捨てるなら命を助けてやる」と言いましたが、彼は「それほどしてまで命を永らえたいとはおもいません。地上のはかない命と永遠の命とを取り替えられるわけはありません」と断ったと言います。

                      (2015.6.7