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2016年6月5日



友のために命を捨てる愛

 

 

 

『人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』。

(ヨハネ福音書1513節)

 

 このところ「愛」シリーズで話をしていますが、第一回は「わたしの愛のうちにいなさい」というみ言葉で、イエスの十字架の愛について学びました。そして二回目は「互いに愛し合いなさい」というみ言葉で、イエスに愛された者は、また互いに愛し合うことを学びました。そして今回は、「友のために命を捨てる愛」について教えられたいと導かれています。

 

 1954年(昭和29年)の6月26日に青森と北海道の函館を結ぶ、青函連絡船の洞爺丸が台風15号のために沈没し、1171人の乗客が死亡するという事件が起りました。これはタイタニック号に次ぐ世界第二の海難事故と言われています。

 

 因みに、タイタニック号の場合は1522名の犠牲者で、世界最大の海難事故で、世界中に衝撃を与えました。この船はイギリスで建造された4万6千トンの豪華客船でしたが、事故はイギリスからアメリカのニューヨークに向けての処女航海中で、北大西洋上で氷山に衝突して沈没してしまいました。これが世界最大の海難事故でした。

日時は1912年(大正元年)4月15日でした。

 

 この洞爺丸の事件のときこんな話があります。この船に乗り合わせたストーンという宣教師が救命胴衣を着けて、海に飛び込もうとしてデッキに上がったところが、そこに日本人の女性がわなわなとふるえているのです。そこで宣教師は「あなたは死んでも天国に行けますか」と問いましたが、その女性はただわなわなと震えているばかりでした。

 

 そこでストーン宣教師は自分の身から救命胴衣を脱ぎ、身も知らないその女性に着せて、「もし命があったら教会に行きなさい」と言って海に突き落としたのです。そして宣教師は船と共に沈んでいきました。

 

 救命胴衣を貰った女性は幸いにも救助され一命はとりとめましたが、命の恩人である宣教師の最後の言葉が忘れられず教会を尋ねました。そして牧師に一部始終を話しましたら、牧師はこのみ言葉を開いて宣教師に「身代わりの愛」について話しました。そして女性はそれを信じて恵まれたクリスチャンになりました。「友のために命を捨てる、これよりも大きな愛はない」。

 

 次に、ヨハネ福音書12章25節「自分の命を愛する者は、それを失い、この世で、自分の命に憎む者は、それを保って永遠に至るであろう」。インドの聖者と言われたサンダーシングという伝道者がいました。戦前に一度東京に来たこともあると聞いていますが。その人の伝記の中にこんな話があります。

 

 インドの北部のチベットの国境に近い村で集会をしていました。集会が終わって次の村の集会に行こうとしましたが、外は激しい吹雪でした。そこで、その家の人は「こんな吹雪のなかを出るなんか危険だ」と言って、吹雪の中を出ていってしました。

 

 村外れまで来ると、同じ村まで行くという旅人に出会いましたので、同行することになりました。ところが村と村との丁度中間地点あたりに、だれか倒れている人を見つけましたので近寄ってみると、まだ体温もありましたのでなんとか助けようとしました。すると同行の旅人は「そんな人に関わっていたら、自分たちも共倒れになってしまう」と反対しました。しかしサンダーシングは、まだ生きのある人を見捨てて行くこともできず、なんとか手を貸してくれと頼みましたが、その友人は「それなら勝手にするがよい」と怒って行ってしまいました。

 

 仕方なくサンダーシングはその行きい倒れの人を見つけましたので近寄ってみると、なんとその人は自分たちを見捨てて先に行った人でした。そして凍死をしてこと切れていたのです。しかし、サンダーシングと行き倒れの旅人は、背中に負うた人の体温とサンダーシングに体温が重ね合わせて、凍死することがなかったのです。先ほどの「自分の命を愛する者は、それを失い」のみ言葉の通りになったのです。

 

【余談】

タイタニック号の沈没事故のとき、救命ボードの数が少なく、船長は女性と子供を優先的にボートに乗せたのです。そして男子たちは楽隊の讃美歌320番「主よ、みもとに近づかん」との演奏を聴きながら船と共に沈みました。この話はさすが紳士の国だと美談になりましたが、リーダーダイジェストに「わたしはボートに飛び乗り助かった」という日本人男性の記事を見て複雑な思いになりました。

 

                   (201606.12