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2017年8月6日



いのちの書について

 

『七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな、むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

(ルカ福音書10章17節)

 

 

 今日から再びルカ福音書に戻ります。そして今日は「いのちの書」について話します。

これは、わたしたちクリスチャンにとって大切なものですが、そのことは後に話します。

 一節に「主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった」とありますが、これは各地で伝道するためでした。そして帰ってきた者たちがイエスにその成果を報告したのです。その報告は「あなたの名によって(証し)いたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」と。

 

 そこでイエスは、「霊があなたがたに服従することを喜ぶな、むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」と語られたのです。この「あなたの名が天にしるされている」とは、「いのちの書」のことです。これはクリスチャンにとっては大事なことです。それは天国の戸籍のようなものです。また天国に入るためのパスポートのようなものだからです。

 

 

 イザヤ書4章4節に『生命の書に(名)がしるされた者は聖なる者ととなえられる』とあります。これは聖徒の名前が書いてある書物です。つまり、イエス・キリストの十字架の死によって罪が贖われた者は、このいのちの書に名が記されて、天国の戸籍に名前が記されるのです。そして、これはわれわれクリスチャンにとっては大切なものです。

 

 ヨハネ黙示録20章11節以下に次のようにあります。『大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に掛かれていることにしたがって、さばかれた』とあります。

 

 この「大きな白い御座」とは、キリストの審判の時のことです。世の終わりにはキリストの審判のときがあり、すべての者がその御座の前に立たされるのです。この審判の時を知っているので人は死を恐れるのです。しかし、罪びとは審かれても、罪を贖われた聖徒は「善かつ忠なるしもべよ、よくやった」と報いを受けるときです。ですから聖徒はは死を恐れません。

 

 

 このキリストの審判のとき、二つの書物が開いて審かれます。一つが「かずかずの書物」でもう一つは「いのちの書」です。前の「かずかずの書物」には。われわれの生涯の行状が書かれているのです。しかし、イエス・キリストを信じて救われた者は、それまでの過去の罪の記録が抹消されるのですから、これは贖いの尊さです。

 

 イザヤ書1章18節に『たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雲のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ』。とあります。緋とは染色の二度染めのことで、これは色が落ちないように二度染めることです。それほど落ちないような頑固な罪でも、イエスの十字架の贖いを信じたら雪のように、また羊の毛のように白く、つまり罪がないようにされるというのです。

 

 

 次に、「いのちの書」ですが、これは前に言ったように、罪が贖われた聖徒の名前が記されているのです。もし、審判のとき、いのちの書に名前がなければ大変です。ヨハネ黙示録20章15節を見ると、『このいのちの書に名がしるされていないもんはみな、火の池に投げ込まれたとあります。火の池とは、ひらたく言えば地獄のことでしょう。

 

 そして、21章27節には『はいれるものは、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである』とあります。このはいれる者はとありますが、これは次の22章に書かれている「新天新地」のことです。

 

 

 われわれクリスチャンの究極の目的は、やがてこの地上の生涯が終わったら、今度は天の御国です。そのために、いのちの書から名が消されることがないようにしなければなりません。

 

 ダニエル書12章1節以下に、ダニエルは次のように預言をしています。『その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書(いのちの書)に名がをしるされた者は皆救われます』。(2017.8.7