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2018年9月16日

神のことを第一に  

 

『だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな』(マタイ福音書631節~)

 

 

 このみ言葉で三回ほど前に話しましたが、このときは「神の義を求めなさい」、つまり神と正しい関係を保ちなさい。そうしたら神は、わたしたちの必要をすべてご存知の方で、与えてくださるから、何も思いわずらうことはない、と話しました。

 

 今日は、「まず神の国と神の義とを求めなさい」、つまり「まず、神のことを第一にしなさい」ということを話します。つまり第一にすべきことは、具体的にいえば礼拝です。聖日礼拝を第一にして守ることが、神の祝福を得る道です。十戒に「安息日を覚えて、これを聖とせよ」とありますが、まず、なによりも神を礼拝することを、礼拝を大切にすることです。そして、神は聖日礼拝を大切にする者を祝福してくださるのです。

 

 サラリーマンの手帳には、一週間が月曜日から始まっています。そして日曜日が一週間の最後になっています。ですから彼らは、日曜日が一週間の終りの日で、休息の日なのです。ところがクリスチャンの手帳は、一週間が日曜日からはじまっています。つまり日曜日は一週間のいちばん最初の日になのです。そうして日曜日に礼拝を守るのは、その最初の日を神に献げるのです。つまり、一週間のいちばん新鮮なときを神に献げると神はその一週間を祝福してくださるのです。

 

 箴言39節に、「すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる」とあります。ここにある「初なり」とは最初の実です。これを神は献げよと言われるのです。あるときひとりの百姓さんが、「先生、神様はけったいなことを言われますな、初なりなんか美味くもないのに」と言いました。しかし神は美味い、美味くないなんてどうでもいいのです。つまり、最初の実を神に献げよと言っておられるのです。そうすれば、神は豊かに祝福してくださるのです。

 

 四国のある町に、新しく病院が建ったので訪問しました。すると院長が病院の中を案内してくれました。一階は診察室と待合室、そして応接室がありました。そして二階は全部病室になっていました。三階は病室とチャペルがありました。院長は三階のいちばんいいところをチャペルにして、毎週教会から牧師を迎えて集会をしているのを知りました。そして院長は「これが、この病院の祝福の基です」と話していました。

ところが先日、医大時代の友人が来てくれたので、病院の中を案内したそうです。

そして三階のチャペルを見た友人は、何かしきりに計算していましたが、「これを病室にしたら、ベッドがいくつ入るから、年間〇〇位儲かるのに」と言ったそうです。しかし、院長は「これがこの病院の祝福の基なのに…」と話していました。

 

 旧約聖書のマラキ書310節に「十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる」とあります。これは、すべての収入の十分の一を神に献げよと言われたところです。つまり十分の一献金(什一献金)のことです。そうしたら、あふれる恵みを注いでくださるというのです。

 

 長野の教会にいるとき、わたしのことを、こんなふうに言っている人がいるのを知りました。それは「坊向先生の生活を見たら、とても裕福に見える、教会の給料ではとてもあんな生活はできるはずはない。きっとお父さんから援助があるに違いない」と。そこで、次の日曜日の礼拝のときに講壇の上から言いました。「わたしは父から援助は受けていません。教会からいただく給料だけで生活しています。もし裕福な生活に見えるなら、それは神様が祝福してくださっているからです。わたしは牧師になったときから、収入の十分の一は神様に献金しています。それが神様の祝福です」と。

 

 この十分の一献金は、わたしが神のことを第一にしている姿勢です。牧師の給料は決して多くはありません。その中から十分の一を献げることは、決して楽ではありませんでした。でもそれが神から祝福をいただく基となったのです。

 

 話は変わりますが、阪神大震災のときに、群の教会や信徒の方から三百万円のお見舞いをいただきましたので、それで教会の修復をしようと考えました。ところが神は、それで全壊した教会員を見舞ってやれと導かれたので、30人に10万円ずつ送りました。ところが神はそれを祝して、考えもしなかった地震保険で一千万円にして返してくださったのです。「受けるよりも、与える方がさいわいである」。(2018.9.16