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2020年01月12日

悔い改めの礼拝

 

『アブラハムは家畜と金銀に非常に富んでいた。彼はネゲブから旅路進めてベルデに向かい、ベテルとアイの間の、さきに天幕を張った所に行った。すなわち彼が初めに築いた祭壇の所に行き、その所でアブラハムは主の名を呼んだ(神を礼拝した)』。

(創世記132節~)

 

 

今日はアブラハムがした悔い改めの祭壇について話します。アブラハムの一族がハランの住んでいたとき、神がアブラハムに現れ、「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう」との召しを受けて、アブラハムは一族から離れてカナン(今日のパレスチナ)に来ました。ところが、飢饉になったので食料を求めてエジプトに逃れてきましたが、前回に話したように大変な失敗をし、エジプトから追い出されたのです。ここまでが前回の話の内容です。

 

さて、エジプトを追い出されたアブラハムは、旅路を進めてベルデに向かい、ベルデとアイの間の、初めに築いた祭壇の所に行きました。そして、そこでアブラハムは主の名を呼んだ(神を礼拝した)のです。このところに「初めに築いた祭壇の所」とありますが、これは128節に、「ベルデの東の山に移って天幕を張った。西にはベルデ、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いた」とあるところです。つまり初めに帰ったのです。

 

つまり、彼は留守の間に崩れた祭壇を築きなおして礼拝したのです。つまりアブラハムの悔い改めの礼拝だったのです。そして、彼が悔い改めをしたので、この後アブラハムは祝福されたら生涯を送ることができたのです。もし彼が悔い改めないで他の方に行ったのでは、後の祝福されたアブラハムの生涯はなかったでしょう。

 

悔いるということと、悔い改めとは違います。悔いるということは、「あんなことをしなければよかった」後悔し反省することですが、それだけでは、また同じ失敗を繰り返します。しかし、悔い改めは、後悔し反省した人が、心を改めて神のもとに立ち返ることです。そして神は、悔い改めて立ち返る人を赦して受け入れてくださるのです。悔い改めはキリスト教信仰の入り口です。この入り口を通らなければ、また同じ失敗を繰り返すことになるからです。

 

マナセ王の悔い改めについて話します。彼の生涯のことは歴代志下33章にあります。彼は南ユダ王国の十四代目の王でヒゼキヤ王の息子で、父の死後、十二歳のときに王位に就きましたが、南王国で最悪の王といわれました。彼は父ヒゼキヤが国内から取り除いたバール信仰を復活させました。おそらくヒゼキヤの宗教改革をよく思わない連中に洗脳されたものとおもわれます。

 

また、彼は自分に反対する者たちを粛清したり、預言者イザヤをノコギリで引き殺したといわれています。そこで神は、マナセを懲らしめるためにアッシリヤを動かして都を攻め、マナセをかぎで捕らえ、青銅のかせにつないでバビロンに連行したのです。

 

マナセはバビロンの地で悔い改めたのです。「彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神に大いに身を低くして、神に祈ったので、神はその祈りを受け入れ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れて帰って、再び国に臨ませられた」とあります。つまり、マナセはバビロンの地で、悔い改めたので、神は赦して再びエルサレムに帰して、南ユダの王として臨むことができたのです。つまり、マナセのような最悪の王でも、悔い改めて神のもとに立ち返るなら、神は赦して迎えてくださるのです。

 

父の悔い改めについて話します。父は宝塚の奥の西谷村大原野の大庄屋の長男として生まれましたが、その家は350年も続く家で、名字帯刀がゆるされた家柄でした。ところが、そのお父さんが一発千金を狙って、大阪の北浜の証券取引所で株に手を出し、家が没落するほどの大損をしたのです。そんなこと親子の関係がうまくいかず、喧嘩が絶えなかったそうです。そこで父は、家の金を持ち出して家出をして遊んで暮らしたそうです。

 

ところが、ある日、神戸の灘にある神社の前で、道行く人に路傍説教しているスウェーデンの宣教師の話を聞き、その宣教師から、自分にない非常に清いものを感じたのです。やがて話を終えた宣教師から、「これから教会に行きませんか」と誘われ、教会についていき、信仰の導きを受け、その晩に悔い改めて救われました。それから毎晩教会に行き、7日目に洗礼を受けました。その日が大正777日で、救われて7日目でした。それから実家に帰り、両親の前で両手をついて、これまでの親不孝を詫びましたら、お父さんは「こいつ、頭が変になった」と思ったそうです。ところが、お母さんも教会に来て救われ、3人の妹も救われ、坊向家がキリスト教となったのです。

(2020112)