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2023年11月19日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所  使徒行伝24章22節~27節 
     

        「ドルシラの求道」


「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」 
(ピリピ書1章6節)

 

前回学びました「ペリクスの前での裁判」(使徒24章1~21節)では、弁護人テルトロと被告のパウロの言い分が大きく食い違っているので、ペリクスがこの事件の現場にいた千卒長ルシアの事情説明を聞いてから判決をくだすことにしました(24章22節前半)。

この「総督のペリクス」については、聖書学者によりますと元奴隷でしたが、兄と共に解放され自由民となり、前例のない出世をした人物です。「奴隷からの解放」と言えば、皆さんよく見られたと思います映画の「ベン・ハー」も、ユダヤの高貴な身分から没落して奴隷にされ、ガレー船と呼ばれる軍艦の漕ぎ手となったのですが、戦闘で船が沈んだ時に司令官を助けたことで、その司令官の養子となりローマ市民権を得た場面がありました。ペリクスも「奴隷から解放され総督にまで上り詰めた人物」でした。

 更に、彼は「この道(キリスト教)のことを相当わきまえていた」(24章22節前半)とありまして、多くの聖書学者は、このペリクスはキリスト教に詳しく、「パウロの無罪」を知っていたと言われます。また、パウロが「ローマ市民権を持つ人物」であったので、「百卒長に、パウロを監禁するように、しかし彼を寛大に取り扱い、友人らが世話をするのを止めないようにと、命じた。」(使徒24章23節)とあります。

その裁判の数日後、「この道のことを相当わきまえていた」総督のペリクスとその妻ドルシラがパウロと会いました(24章24節)。この出来事を詳しく記しました「西方本文」によりますと「特に、パウロと面接したがったのは、ドルシラであった」とあります(F..ブルース著『使徒行伝』510頁)。

 それほどまでに、パウロに会いたかったドルシラとはどんな人物かについて、週報の裏表紙に聖書学者の見解を記しました(週報裏表紙「ドルシラ」参照)。週報裏表紙の「ドルシラ」を読んでみますと、「ペリクスの妻ドルシラが同行したという事実から、一つの推測が引き出される。このドルシラは、紀元38年に、へロデ・アグリッパ1世(使徒12章)の末娘として生まれているから、当時20歳前であった。」とあります。

ドルシラの父親の「ヘロデ・アグリッパ」については、昨年の8月にこの「使徒行伝」で学びました「12章」に記されている人物です。彼は、⑴主イエス様の12弟子の「ヤコブを剣で切り殺し」(12章2節)、⑵ペテロも捕えて殺すために牢屋に入れていたのですが、処刑される前日の夜の教会の熱心な祈りが聞かれて、ペテロは天使に救い出されたのでした(12章3~18節) ⑶また、このヘロデ王は、近隣諸国の人々の前で演説をしたのですが、おごり高ぶって自分を神様のように思った途端、「虫にかまれて死んだ」と記された人物です(12章23節)。

 栄華を極めておごり高ぶり、クリスチャンを迫害して神様に打たれて死んだ「ヘロデ・アグリッパ王」の「突然の死」は、6歳の時の娘のドルシラを襲った不幸でした。クリスチャンを迫害して高ぶり、そして神様の打たれた父親の姿は、幼い心に「神様を侮ってはならない」としっかりと刻み付けられたことでしょう。

 また、「人の死は最も偉大な説教者だ(人の死は、どんな説教家の説教よりも福音を証しする)」と言われます。昨今、テレビのCMで「ちいさなお葬式」「家族葬」の事が良く放映されています。葬儀はご遺族へのお慰めが大事ですが、また同時に最も福音を伝えやすい福音宣教の時です。未信のご家族、教会から離れておられるご家族、知人・友人の「目覚めの時」のためも、「家族葬」よりも「教会葬」をお願い出来ればと思います。「人の死は、どんな牧師よりも、偉大な説教者」だからです。

幼い6歳のドルシラにとって、栄華を極めた時の父親の突然の死は途轍もないインパクトをもって、彼女の心に、人間はどんなに栄華を極めても死ぬのだ。「その後、どうなるの・・・」と迫ったのではと思います。

その後、ドルシラは幼くして「政略結婚」の具とされる「辛い生涯」が待っていました。「その後、兄のアグリッパ2世(使徒25章13節)が彼女をシリヤの小国エメサの王アジズと結婚させた。ところが彼女が16歳の時、ペリクスは、キプロス島出身の魔術師アトモスの力を借りて、ドルシラをくどいてその夫と離婚させ、自分と結婚させた。こうしてドルシラは、ペリクスの第三番目の妻となった。(週報の裏表紙参照)とあります。男性にとってもそうですが、女性にとっても、もっと「大切な結婚」を「政略」と「欲望」の具にされ、彼女の行き着いたのが「総督ペリクスの妻」の座でした。

ですから、聖書学者は「このような暗い過去を持つドルシラには、おそらく、人に言えないさまざまな問題や苦悩があったであろう。ペリクスもまた彼女の心を解することができず、そこで彼らは連れ立って、キリスト教伝道者パウロのもとにやって来だのではないかと思われる。」(『新聖書注解 新約 2、160頁)と記しています。

 「ペリクスの妻」としてドルシラは、人の「思惑」や「欲望」に翻弄される生涯からの「救い」を求めて、夫のペリクスと共に「キリスト・イエスに対する信仰」のことをパウロから聞いたのでした。ところが、話が進み「パウロが、正義、節制、未来の審判などについて論じていると、ペリクスは不安を感じてきて、言った、『きょうはこれで帰るがよい。また、よい機会を得たら、呼び出すことにする』」と言って、彼は「恵みの時」、「救いの導き」を自ら退けたのでした(24章25節)

更に、ペリクスはこの後もパウロと出会って、話を聞きましたが、この世の「マモンの神(お金)」に首ったけでした(24章26節)。一方、ドルシラはこれ以降聖書に出てきませんが、聖書の「ピリピ書」に「あなたがたのうちに 良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」(ピリピ書1章6節)とあります。

私は19歳の時、京都の清和教会の青年が配っていた「伝道集会のビラ」で、生まれて初めて教会に行きましたが、一か月もしないうちに「こんなことしていて、いいのか?」との思いで教会を離れてしまったのです。でも、祈って下った方々があったので、その年のクリスマスの頃にもう一度、教会に集わせて頂きました。その後、いろいろありましがた今に至っています。主が「救い」を完成してくださるのですから、主の御真実と御言葉の約束に堅く立って歩んで参りましょう。
              2023年11月19日(日) 聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎