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2023年11月26日聖日礼拝説教要旨
            
     その時、奇蹟が起った

                                           

 『ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出した。そして歩き回ったり踊ったりして、神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った』。                       (使徒行伝3章6節~)

 

 これは初代エルサレム教会で起った最初の奇蹟(常識では考えられないような神秘的な出来事)が記るされたところです。エルサレムの神殿の美しの門に、40年間もたたずみ、神殿に礼拝に来る善男善女から施しを求めていた男がいました。この日、ペテロとヨハネとがこの門を入ってきたところが、この男が施しを求めたのです。そこでぺテロが、この男に対して「金銀はわたしにはない、しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と命じ、彼の右の手を取って起してやると、足とくるぶしとが強くなって、躍りあがって立ち、歩きだしたのです。

 どうして、こんな奇蹟が起ったのでしょうか。それはペテロたちがペンテコステの日に聖霊に満たされていたからです。もう一つは、「ナザレ人イエス・キリストの名」によって命じたからです。「今日はイエスの時代のような奇蹟は起らない」と言った人がありましたが、それは、奇蹟が起るような信仰がないからです。もし信仰があれば、今でも神は奇蹟を行われます。

 使徒パウロが第一回世界伝道旅行のとき、ルステラという町で、やはり足の不自由な人が癒されたという奇蹟が起って居ます。14章8節以下に、「ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生れながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、大声で『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言った。すると彼は踊り上がって歩き出した」のです。これは使徒行伝3章の奇蹟と同じです。

 柘植不知人先生も、これと同じ経験をしたと、ご自身の自叙伝、「ペンテコステの前後」の中に記されています。それは広島県の呉市での聖会のときのことです。先生が、「午後の集会は、神癒会(病人の癒しのための集会)をするので、ご家庭の病人を連れて来るように」と勧めました。ところが、ひとりの青年が街で物乞いをしている男を教会に連れてきたのです。この男はいつも路上で座っているので街では有名な人でした。

ところが柘植先生がその男の人の頭に手を置いて、「ナザレ人イエス・キリストの名によって命じる、立ちて歩め」と祈られると、その人は大きな叫び声をあげて立ち上がったのです。そして、その瞬間にその人の足が立ち、癒されたのです。まさしく使徒行伝3章の初代教会の再現のような光景でした。

 わたしが長野の教会で働いていたころのことです。その教会に子供のころから教会に来ていた女性がいました。信州大学の教育学部を卒業して、長野県境の分校の教師として働いていましたが、あるとき授業中に教壇の上で倒れてしまいました。病名は脳腫で名古屋の名大病院の脳神経外科で手術を受けましたが、手術の後で医師は「もう一度手術をしなければならないが、その前に会わせておいたほうがいい人があれば会わせておいたほうがいい」ということでした。そこで、わたしも名古屋の病院に駆けつけました。頭は白い包帯で巻かれ、苦しいのか胸がはだけるようで、気の毒で直視出来ないようなありさまでした。それでも、わたしが来たのが分かったようで、喜んでなにか話しかけようとしますが、なかなか言葉が出てこないのです。「せんせい」と言おうとしますが、その「せ」という一言がなかなか出てこないのです。ようやく「せ」と言ったかと思っても、次の「ん」という言葉を言うのに、また長い時間がかかるのです。そこでわたしは、「もういい、あなたの言いたいことはわかった」と止めました。

 そこで、その手を握って祈り、これが最後になるかもしれないと、はなむけ(お別れのつもりで、その大が大学の聖書研究会でよく一諸に歌った讃美歌の321番をうたいました。「いつくしみ深き、友なるイエスは、罪とが憂いをとりさりたもう…」と歌いだしたら、その時に奇蹟が起ったのです。ひとことも言葉が言えなかったその大が、一諸になって歌いだしたのです。しかも最後の3番まで歌いきったのです。側にいた両親も「この子が歌った、この子が歌った」と、たいへん興奮していました

 このことがあってから、病状は日々に回復していき、二度目の手術をすることなく、退院することができたのです。初めは半身不随の状態で、足を引きずるような状態で、人の何倍もの時間をかけて教会に来ていましたが、次第に機能が回復していき、普通の人と変わらないようにまでになりました。神は信ずる者に、今でもこのような奇蹟を起されるのです。神を信じましょう。   
    
                                             坊向輝國