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2025年12月28日礼拝説教要旨

聖書箇所 Ⅰテサロニケ書5章16~22節
           

     いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。


「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」

(Ⅰテサロニケ書5章16~18節)

「主を喜ぶことはあなたがたの力です」       
(ネヘミヤ記8章10節後半)


「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」
(エペソ書6章18節)


山手教会の2025年は、新年礼拝でアブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた。」(ローマ人への手紙4章3節)との新年標語から始まりました。

天地万物を創造して統べ治められる父なる神様が、私達の「ちっぽけで罪ある者の祈り」を聞いて下さるのかと不安に思いますが、神様を「信じるなら」、そして「信じるだけ」で祈りを聞いていただける「(義と認められる)正しい関係」が与えられます。私はこの新年標語の御言葉に励まされて、父なる神様に心から祈ることが出来る2025年となりました。その後、新年最初の聖餐式を行って主イエス様の「裂かれた御体」と「流された血潮」に与りました。

また1月12日には阪神淡路大震災」の30年記念礼拝を捧げました。19日は伝道礼拝があり、主イエス様をお伝えする礼拝を捧げました。礼拝後、1月は「新年親睦会」をもち、2月以降は毎月「愛餐会」を持ちました。

 2月14日には久保田輝子姉が召天されました。16日午後は「ケズィック神戸大会」が神戸中央教会で開催され、山手教会からも参加しました。3月には伝道礼拝の後、卒業進学進級祝福式があり14名の子供さんや学生さんが祝福を受けられました。

4月からは、山手教会で開催される「連合聖会」に備えて「聖会準備祈祷会」が行われました。熱心な祈りが捧られ、近隣教会の牧師達のメッセージに恵まれた祈祷会となりました。20日にはイースター礼拝の後、舞子墓園の教会墓地で3名の方々の納骨式と墓前礼拝が行われ、多くの御遺族と関係者が集われました。27日には岩﨑勝行兄夫妻を始め3名の方々の転入会者の紹介を行いました。

 5月には先程申しました「活水の群」連合聖会・総会が開催され、多くの方々が山手教会に集われました。山手教会まで来られない方々にはユーチューブ動画の配信ができました。

 6月には教会総会が開催され重要議案が審議されました。新しく監事職を置く「新教会規則」が承認され、教区・教団の承認・同意の後、今月12月25日に県の認証を受けました。6月8日のペンテコステ礼拝では渡辺生雄兄が堅信礼を受けられ、救い主イエス様への信仰を公に告白されました。

 7月から8月にかけては、御殿場研修会が駒ケ根とYMCA東山荘で行われ、山手教会から8名が参加して恵みを頂きました。9月には敬老会があり75歳以上の54名の方々の長寿をお祝いしました。欠席者には、後日竹内牧師が自宅に伺い祝品を渡してお祈りさせて頂きました。24日には病床受洗され召天された武田昭司兄の告別式が行われました。10月29日には日原和子姉が召天され、11月1日の告別式には、山手クワイア有志が日原姉の愛唱歌「うるわしの白百合」を賛美され一時の別れを惜しみました。16日の伝道礼拝の後には幼児祝福式を行い8名の子供達が祝福を受けました。また11月中に山手教会を会場に「神戸クリスマス・フェスティバル」の合同の賛美練習と決起大会が行われました。12月5日には同フェスティバルが神戸文化ホールで開催され、参加者380名(内、聖歌隊80名)が神様をほめたたえ、救い主の御降誕をお祝いし伝道の時を持ちました。

山手教会では21日にクリスマス礼拝・クリスマス祝会が行われ、地区別・年齢別に分かれて救い主の御降誕を賛美し、CS教師スタッフによる「聖誕劇スライド」も見せて頂き、主イエス様の御降誕を皆でお祝い出来ました。この1年間、多くの恵みを頂きました。

 一方で、2025年に困難や戦いや病に直面され不安を覚えられた方もあると思います。私も2月には長女が結婚し、5月には山手教会での「群」連合聖会が祝福の内に終わり、6月の総会では念願の山手教会の新教会規則が承認されて恵みの半年を過ごしましたが、後半の半年は戦い続きで、とんでもない事も起こりましたが、私にはその問題を持って神様に訴える「祈りの場」がありました。それが礼拝堂です。牧師にとって礼拝堂は、信者さんからの「祈祷依頼」「執り成しの祈り」「重大な問題」について主なる神様に訴える「祈りの場」となります。

 私たちは、喜べない問題、課題、困難に日々囲まれて生きていますからこそ、「主を喜ぶ」のです。「ウェストミンスター小教理問答」の最初の質問に「人の生きるおもな目的は何ですか?」とあり、答えは「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」とあります。また「神を喜ぶ」ことに関する有名な御言葉に「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ記8章10節後半)があります。私達は直面している問題や困難を決して喜べませんが、神様は愛の神様ですから、決して悪いようにはされません。

今日の聖書箇所には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ書5章16節)とあります。私達の問題の背後には、私達を愛しておられる主がおられます。その主をいつも喜んでいるなら、解決が与えられます。続いて「17節」には「絶えず祈りなさい」とあります。山手教会では「祈りて倦まざるべし」がモットーです (口語訳聖書、エペソ書6章18節後半)。祈っていれば、必ず問題は解決します。

 イギリスで、神様だけにより頼み数多くの孤児院を創設して約1万人の孤児を救済した「信仰と祈りの人」ジョージ・ミュラーはこう証しました。「1844年11月 私は5人の魂が主に戻るようにお祈りしました。一日も欠かさずに祈りました。病気になっても、旅行に行っても、仕事で忙しくても、いつも彼らのために、お祈りしました。18か月後に、一人が主イエス様を受け入れしました。私は神様に感謝し、残りの4人のために続けて祈りました。5年後にもう一人が主イエス様を受け入れしました。私は神様に感謝し、残り3人のために続けて祈りました。毎日お祈りしていた結果、3人目も主を受け入れました。私は神様に感謝し、残り2人のためにお祈りしました。しかし、なかなか神様を受け入れしませんでした。神様にお祈りする度に、何千回も答えられていた私が、36年お祈りしても、彼らは主イエス様を受け入れしませんでした。しかし私は神様の中で望みを持っていました。答えを受けるまで続けて祈ります。たとえ今は答えられなかったとしても。」

このように証したジョージ・ミュラーが52年間お祈りしても、残り2人は全く反応しませんでした。しかし1898年にミュラーが亡くなった後に、神様は、その2人の魂を救われました。「ミュラーの祈り」は、彼が亡くなった後に答えられました。

 「自分だけ天国に行けたら良い」のではありません。家族や知人友人のために「祈りて倦まざるべし」「絶えず祈りなさい」との御言葉に従って祈るなら、あなたがこの地上で祈りの結果を見なくても、天国で主イエス様と共にその結果を喜ぶことになります。

         2025年12月28日()感謝礼拝説教要旨 竹内紹一郎