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聖書箇所 ヨハネ福音書6章52節~59節
「彼(イエス様)は常に真実である。」
「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼(イエス様)は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。」
(Ⅱテモテ書2章13節)
「シモン・ペテロが答えた、『主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。』 」
(ヨハネ福音書6章68節)
「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」
(使徒行伝9章31節)
ガリラヤの弟子たちは、5千人の給食の奇跡(ヨハネ福音書6章1~15節)の後、主イエス様がカペナウムの会堂(6章59節)で話された説教の中で「わたしが与えるパンは・・・わたしの肉である」(6章51節)との御言葉に躓いていました。ペンテコステの聖霊降臨以降、キリスト教会が誕生し、各教会で上記の御言葉に従って聖餐式が行われて現代に至ります。しかし当時のガリラヤの弟子たちは「これはひどい言葉だ、第一、血生臭いし、何のことを言っているのか、さっぱり分からない。こんな言葉は聞いておれない。」(ヨハネ福音書6章60節[現代訳])と躓き、主イエス様の言われた真意が理解できませんでした。
では、ガリラヤの弟子たちは皆、躓いてしまったのかと言いますと、そうではなかったのです。ペテロを含む「12弟子」は、「同じ言葉」を主イエス様から聞いても躓きませんでした。「シモン・ペテロが答えた、『主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。・・・』 」(ヨハネ福音書6章68節)と告白したのです。そして、主イエス様がエルサレムのカルバリの丘での十字架刑を受けて死に、3日目に復活され、更にその昇天された姿も見て、彼らが「主イエス様の復活の証人」となりました。
一方、主の御言葉に躓いた多くのガリラヤの弟子たちは、残念ながら「十字架と復活」「昇天される主イエス様」を目撃する証人にはなれませんでした。ですから、主イエス様は、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。」(ハネ福音書6章61、62節)とあります。現代訳聖書では「あなたがたはわたしの弟子なのに、こんなことに躓くのか。それでは、もしわたしが天に帰って行くのを見たら、どうなるのですか」(ヨハネ福音書6章61、62節[現代訳])と翻訳しています。
ただ聖書はその後の、ガリラヤの躓いた弟子達のこともきちんと記しています。彼らは一時「躓いた」のですが、後に主イエス様を信じる信仰に立ち帰った記事が「使徒行伝」にあります。主がエルサレムのカルバリの丘で十字架に架かられ、「肉」を裂かれ、事切れて、「全ての人の罪を赦し、清める尊い血潮」を流された後、3日目に復活され天に昇られました。そして弟子達の十日間の「聖霊を待ち望む祈り」が答えられて、ペンテコステの日に聖霊が弟子達に降りました。その後、キリスト教会が誕生して、更に各地にキリスト教会が立ちました。
躓いて主イエス様の許を去った多くの弟子達がいた「ガリラヤ地方」にも、キリスト教会が建ち、聖霊のお働きによってガリラヤの弟子達も、主イエス様に立ち帰ったと考えられます。「使徒行伝9章」には、こうあります。「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」(同書9章31節)
皆さんの中には、信仰生涯50年以上という方もあると思います。私も19歳の時入信し、信仰歷50年余りになります。「信仰は一生もの」です。その間には、私も先程のガリラヤの弟子たちのように躓いたり、落ち込んだり、道筋を間違えたりしました。でも、神様の憐みで回復させていただき、今に至っています。
エンゼルマークの「森永製菓」の創始者の森永太一郎さんもその一人です。彼は、地元の「伊万里焼」を売るためにアメリカへ渡ったのですが商売に失敗しました。でも洋菓子のおいしさを知って、洋菓子職人になるためにクリスチャン夫婦の経営する洋菓子工場で働きました。その時、その夫婦によりキリスト教信仰に導かれ、主イエス様の十字架の救いを信じて救われました。
その後、アメリカで洋菓子作りを学び、帰国して洋菓子の製造販売をしたのですが、洋菓子になじんでいない日本人に、洋菓子を売るのは大へんな苦労が伴いました。それでも希望を失わず、祈りつつ頑張りました。太一郎さんは、特製の屋台車の箱にお菓子を入れ、その屋台の屋根には、漆の板に「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」(1テモテ1章15節[新改訳2017])と「正義は国を高め 、罪は国民をはずかしめる」(箴言14章34節[新改訳2017])という聖句を書きつけて行商して回りました。神様は、聖書の御言葉に従って経営する太一郎さんを祝福され、商売はどんどん繁昌し、後に「キャラメル王」と言われる程になりました。
その後、事業は個人経営から株式会社へ拡大したのですが、太一郎さんは事業の成功と裏腹に、主イエス様への信仰心は次第に薄れました。毎晩、聖書は開くものの、かつての心の潤いを感じなくなって、30年以上にわたり教会に足を運びませんでした。更に、苦労を共にした最初の妻のセキさんが亡くなると、 料亭通いが頻繁となり、飲酒に溺れ、不倫の罪を犯して堕落した生活を送りました。
そんな信仰に躓いて堕落した太一郎さんでしたが、再婚した妻のタカさんが死の病に伏した時、転機が訪れました。苦しむタキさんのために一言も祈れずにいた太一郎さんの許に、かつて自分が冷たく接していた牧師や信徒たちが駆け付けて、タキさんのために心から祈ってくれました。病室はさながら教会のようになりました。タキさんはその祈りの中で、平安を得て息を引き取りました。
このことを通して太一郎さんの信仰は復活しました。そして65歳の彼は「行って、語りなさい」との神の導きを感じました。それで自分の体験を語る講演会を全国で開く決心をしました。その演題は決まって「我は罪人の頭なり」でした。太一郎さんは、過去の自分の数々の過ちを包み隠さずに語りました。そんな汚れた自分をも変わらず愛して下さった神の愛を語り続けました。
講演は評判を呼び何千人という人々が押し寄せ、太一郎さんの「数奇な生涯を導かれた神の愛」に感動しました。そして講演は一つの讃美歌で閉じられました。現代の新聖歌33番の「われ、罪人の頭(かしら)なれども、主は我がために、生命(いのち)を捨てて、尽きぬ生命を与えたまえり」が賛美されました。
聖書は、「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼(イエス様)は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。」(Ⅱテモテ書2章13節)とあります。私たちは直ぐ躓き、つぶやき、信仰すら放り出すような「不真実な者」ですが、主なる神様は「常に真実」でおられ、尊い血潮で一切を赦し清めて、「神の子ども」として再出発させて下さいます。
この真実な主イエス様を、新しい年2026年も礼拝しお従いしましょう。
2026年1月4日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎
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