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2026年1月11日礼拝説教要旨

         祈りつづけなさい

坊向輝國

『絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい』
(エペソ書6章18節)

 

このみ言葉は、文語訳聖書では「祈りてうまざるべし」とあり、わたしの父の愛唱の聖句でした。そして97年の生涯、禱告の祈りを続けました。最後は祈りながら召されました。そしてまたこれは、今年わたしに与えられた新年標語です。

わたしたちが恵まれた生活、また勝利の生活を送るためには不可欠なものです。クリスチャンでなくても神仏に祈ります。その祈りは、家内安全、無病息災、商売繁盛、学業成就、交通安全といった自分中心の祈りであることが多いのです。

しかし、クリスチャンの祈りは願い事だけではなく、神との霊的交わりのときです。また霊的力の充電のときです。そして、霊的魂を充分に充電をしていると、力強い人生を送ることができるのです。イエスでさえ祈りのときを大切にしておられました。

マタイ福音書14章22節以下に、「それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた」とあります。

これは、5つのパンと2匹の魚で5千人の人たちを養われたという、スケールの大きな奇跡をされた後、弟子たちを舟に乗せて向こう岸に先におやりになり、また群衆を解散させて後に、イエスはひとりで山にのぼられました。これは神との霊的交わりをして霊的力の充電のときだったのです。イエスのような方でも、神と交わり霊的力の充電のときをもたれたので、この後も力強い働きをすることができたのです。

車にはバッテリーがあり、その力でエンジンを始動することができるのです。ところが、エンジンが始動すると、その力でふたたび充電するのでエンジンはいつでも元気に動くのです。わたしが昔、父を乗せて四国に行こうとしましたら、しばらく走っていますと、すぐにエンジンが止まってしまうのです。そこでエンジン部分を調べてみると、エンジンと発電機をつなぐベルトが切れていたのです。そこで修理工場に入れてベルトをつけてもらいましたら、今度は元気に動いてくれました。わたしたちも神とのベルトが切れていると霊的バッテリーが充電できなく、力強い人生を送ることができません。どうぞ、皆さんも力強い人生を送りたければ、神とのベルトをしっかり締めてください。

イザヤ書40章29節以下に、「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」とあります。「壮年の者も疲れはてて倒れる」とありますが、なぜ働き盛りの人が、疲れ果てて倒れるのでしょうか。それは霊的力の充電を怠るからです。ですから皆さんも、いつも神に近づいて祈り、霊的力の充電のときを大切にしてください。そうすれば、走っても疲れることなく、歩いても弱ることがないばかりか、力強い人生をおくることができるのです。そして日曜日の礼拝はわたしたちの霊的力の充電のときです。

宗教改革者マルチン・ルターが言った有名な言葉があります。それは「忙しければ忙しいほど、多くのときを祈りに費やさなければならない」。忙しいときはわたしたちの霊的魂が滅びるときです。そんなときにサタンが働くのです。ですから、忙しいときは霊的魂の危険なときです。ですから、忙しいときこそ神に近づいて礼拝を守り、そして祈って、充電をしなければなりません。

ルカ福音書10章38節以下に、イエスに文句を言ったマルタのことが書いてあります。ある日、ベタニヤ村のマルタ、マリヤの家に、イエスの一行が訪ねました。そこで姉のマルタは懇ろに接待しようと台所で働いていましたが、客人はイエスと12人の弟子たちでしたから大変でした。そこで妹に手伝ってもらおうと探したら、イエスの側で恍惚とした顔で話を聞いているのを見たマルタは心を取り乱し、イエスに文句を言ったのです。「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか」これは妹にいう言葉です。それをイエスにぶつけたのは、マルタの八つ当たりです。わたしたちも祈らないでいると、魂が乱れて失敗してしまいます。

どうぞ、皆さん、この一年、祈りのときを大切にし、聖霊の力に満たされ、恵まれた一年、力強い日々を送ろうではありませんか。神は祈る者を愛してくださいます。皆さんの一年間が祝福された年となりますようにお祈りいたします。