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聖書箇所 ヨハネ福音書6章52節~59節
「あなたこそ、生きる神の子キリストです」
「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」
(ローマ書10章10節)
「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」
(マタイ16章23節)
「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」
(ローマ書12章2節)
ガリラヤ地方で主イエス様に従った「多くの弟子たち」(6章66節)は「わたしが与えるパンは・・・わたしの肉である」(6章51節)と言われた御言葉に躓きましたが、ペテロを含む「12弟子」は躓かず、主が「あなたがたも去ろうとするのか」(6章67節)と問われた時にも、ペテロたちは「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています 」と信仰告白しました(6章68、69節)。
この「信仰告白」をしたペテロを始めお弟子たちは、主がエルサレムで十字架刑を受けて死なれ、3日目に復活し、その後昇天された御姿など全てを見て「主イエス様の復活の証人」となりました。一方、「わたしの肉」という主の御言葉に躓いた「多くのガリラヤの弟子たち」は、残念ながら十字架と復活と昇天される主イエス様の姿を目撃することはありませんでした。しかし聖書は、ガリラヤの躓いた弟子も、後に主イエス様を信じる信仰に立ち帰ったと記しています(使徒行伝9章31節)。
「信仰は一生もの」です。その間には、ガリラヤの弟子たちのように躓いたり、落ち込んだり、道筋を間違えたりしても、神様の憐みで回復させていただけます(森永製菓の創始者の森永太一郎さんの証)。聖書には「わたしたちは不真実であっても、彼(イエス様)は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。」(Ⅱテモテ書2章13節)とあります。私達は直ぐ躓き、つぶやき、信仰すら放り出すような「不真実な者」ですが、主なる神様は「常に真実」であられ、私達を尊い血潮で全て赦し清めて、「神の子ども」として再出発させて下さいます。
今日の聖書箇所の大切なメッセージは「信仰告白」です。ペテロが「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」(ヨハネ福音書6章68、69節)と信仰を告白しました。
ペテロが行った、もう一つの「信仰告白」に「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ福音書16章6節)があります。現代の私達も「使徒信条」で「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」と告白しています。この「信仰告白」こそ「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」(ローマ書10章10節)告白で、大事な信仰告白です。
更に、ペテロによるこの「信仰告白」を記した聖書個所を読み進めると、主イエス様は「あなたはペテロである。そして、わたしは この岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉(地獄)の力もそれに打ち勝つことはない。」(マタイ福音書16章18節)と言われました。「この岩」というのは、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」という信仰告白のことで、教会はこの信仰告白の上に建てられています。
ところが、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」という「黄泉(地獄)の力もそれに打ち勝つことはない」という「永遠の祝福(永遠の命)」を得る信仰告白をしたシモン・ペテロが、この後「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と主イエス様から厳しく叱責されたのでした(マタイ福音書16章23節)。
同じく「ヨハネ福音書6章68節~71節」でも、ペテロが素晴らしい信仰告白をしているのに、その隣で「神の独り子の主イエス様」を裏切り「神のことを思わないで、人のことを思い、自分の目先の損得を考えて、主を裏切る存在」がいたのです。
これはペテロやユダだけでなく、私達の中にも「神様を第一にしないで、自分を第一にする」「自分の都合で動く」思いがあります。ですから使徒パウロは「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ書12章1、2節)と語ります。「信仰告白」の大切さと共に、いつも「サタン(誘惑する者)」の存在に対して心していなければなりません。
ラジオ牧師の羽鳥明先生の弟の純二さんは東京帝大の化学専攻に在学中に終戦を迎え、その後に共産党に入党。マルクス主義の闘士で同党機関紙「赤旗」の編集員でしたが、兄の明先生がイースター復活祭の礼拝に誘うと、純二さんは生まれて初めて礼拝に来てくれました。更に、次の日曜日に駄目元(だめもと)で、弟を「もう一度、教会に連れて行こう」と誘われたら、共産党員でインテリの弟が不思議なことに「礼拝に行く」と言いました。そこで説教された「詩篇51篇」は、ダビデ王が恐ろしい姦淫と殺人罪などを犯した話でした。その罪を預言者に暴かれて、どうにもならなくなった時、ダビデは罪を全部さらけ出し、神様を信じて受入れ従った時に、その全ての罪が赦され、本当に新しいダビデ王に生まれ変わった強烈な説教でした。その牧師先生が最後に「今朝、罪を悔い改めて神に立ち帰り、イエス・キリストを救い主と信じる人はいませんか?」と問われた時、弟の純二さんが最初に手を挙げて「信じる」と応答しました。羽鳥先生は、弟が救い主イエス様を信じてくれるように17年間も祈っても駄目だったのに、ビックリして「純二や、どうして信じたの」と言ってしまいました。すると「兄さん、ぼくは共産主義こそ社会を改革するものだと信じ込んでいたが、共産党内部でも、ある人は権力を得るために人を蹴落とし、ある人はポケットにお金を突っ込んでいた。『ああ、人間って汚いものだ』と思ったが、ぼくも同じだった」と言って、純二さんは罪を一つ一つ告白しました。そして「ぼくの信奉していたイデオロギーは、ぼく一人を改革することができず、革命することができなかった。兄さんが連れていってくれたイースター礼拝で、福島の牧師先生が『本当にイエス・キリストは神で、あなたの罪のために死んで甦った。あなたを救うことができる神です』と言われた時、ぼくのような罪人を救うことができるとしたならば、本物の神は他にはいないと思った」と言われまた。
「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」(ローマ書10章10節)とあります。その告白の傍で「神のことを思わないで、人のことを思っている」というサタンの働きもあります。「何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きこと」(ローマ書12章2節)か、わきまえ知る信仰生涯に進みましょう。
2026年1月25日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎
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