|
聖書箇所 ヨハネ福音書7章1節~13節
「わたしの時はまだ来ていない」
「わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。・・・あなたがたこそ祭に行きなさい。わたしはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから」
(ヨハネ福音書7章6,8節)
「その方(聖霊)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」
(ヨハネ福音書16章8節[新共同訳])
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
(伝道の書3章11節)
前回まで学んで来た「ヨハネ福音書6章」の初めの「5千人の給食」は、「ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた」(6章4節)とあり、春の3月下旬から4月上旬の頃のことでした。今日の聖書箇所の「ヨハネ福音書7章2節」には、「ユダヤ人の仮庵の祭が近づいて」とあります。「仮庵の祭」は「秋の収穫祭」で9月~10月頃です。その祭りが「仮庵の祭」と言われるのは、イスラエルのエジプト脱出(出エジプト)の際の「荒野での天幕(テント)生活」と結びついて「仮庵の祭」と呼ばれたからです(申命記16章13~15節、ネヘミヤ記8章14~17節)。
主イエス様は、「5千人の給食」のあった春先から秋の「仮庵の祭」まで約6か月間、ガリラヤ地方に留まり、ペテロを始め12弟子と共に巡回して伝道されました(ヨハネ福音書7章1節)。その様子を記しているのは「マタイ福音書15章~18章」で数多くの奇跡が主により行われました。その様子を見ていた主の家族は「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。・・・自分をはっきりと世にあらわしなさい」(7章3、4節)と言いました。弟たちは、主の母マリアと父ヨセフの間に生まれた弟妹で「この人(イエス様)は大工ではないか。マリアのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいる」(マルコ福音書6章3節)とあります。兄のイエス様が伝道され病める人々を癒される姿を見て、ローマ帝国に虐げられているユダヤ人を解放する「救世主」として、兄のイエス様がユダヤの国を救うかもしれないと考えたと思われます。
しかし弟たちについて、聖書は「(彼らが)イエスを信じていなかった」(7章5節)と記します。何故なら、主はローマ帝国の圧政からユダヤ人を救うことよりも、もっと大事な「永遠の滅びに至らせる罪と汚れ」から人々を救う救い主だからです。現代の私たちも主イエス様について、病気を癒やされる「癒し主」と信じ、癒された方もあると思います。私に洗礼を授けた清和教会の牧師は、終戦後まもなく血を吐く結核で苦しみましたが、主によって完全に癒されました。その後、神様の前の罪が分かって、主イエス様を「罪からの救い主」と信じました。自分が神様の前に罪人だと分かるのは聖霊の働きで、「その方(聖霊)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」(ヨハネ福音書16章8節[新共同訳])とあります。
イエス様は弟たちに「わたしの時はまだ来ていない」(7章6節)、「あなたがたこそ祭に行きなさい。わたしはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから」(7章8節)と言われました。「わたしの時」とは、半年後の「過越の祭」の時です。「過越の祭」は、イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から解放され約束の地カナンに向かうために、神様がエジプトの国を行き巡り、人間と動物の最初の子(初子)を打たれましたが、子羊の血を玄関の柱と鴨居に塗ったイスラエルの家庭は初子が打たれることなく、神が過ぎ越されたことを記念して「過越しの小羊」の血を流す祭です。
同様に主イエス様は半年後の「過越の祭」の時に、全ての人の罪が咎められることなく裁きが過ぎ越されるために、十字架で「過越しの小羊」として尊い血潮(御宝血)を流す大切な使命がありました。洗礼者ヨハネは、主イエス様を見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(1章29節)、「見よ、神の小羊」(1章36節)と人々に証しました。主イエス様は、「世の罪を取り除く神の小羊」となる「神様の御計画」のために「わたしの時はまだ来ていない。・・・わたしはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから」(7章6~8節)と言われたのです。
主なる神様を信じる私達たちにも「神様の御計画」があります。一方、主の弟たちのような普通の人は自分勝手に何でもしますので「あなたがたの時はいつでも備わっている」(7章6節後半)と言われます。私達、主なる神様を信じる者は「神の時」を大切にしましょう。「伝道の書」には、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(同書3章11節)とあります。
私の前任地の深谷西島教会は、30年程前は日曜礼拝も出来ず教会の看板を下ろすつもりでしたが、一人の老信徒が母教会の「深谷西島教会を何としても再建したい」と思い、「活水の群」の牧師が来てくれるようにお願いしました。その時、渋谷教会で伝道師だった竹内を遣わすことになり、私たち一家は深谷の教会を見に行きました。古い会堂と更に古い牧師館は傾いていました。でも近隣の教会が先代の老牧師夫妻のために牧師館の水回りを新しくしてくださったので、私も家内も長女も喜んで赴任を決意しました。
ところが程なく、教会と牧師館の建っている借地110坪の地主が、先代の牧師家族以外が住んでは困ると言われ、一転して教会再建は頓挫しました。私も家内も失望し、転校して深谷行を公言していた娘も立場がなく、長男も大好きな保育園から遠い保育園に転園して落ち込みました。結局、もう一年渋谷教会で奉仕して赴任地を捜すことになりました。
そのうちに深谷の教会再建に熱心な老信徒が「アパート代を出すから深谷に来てください」と言われ、1999年4月から深谷西島教会再建に家族で取り組みました。でも、月々のアパート代が教会会計を圧迫し必ず行き詰ると分かって、教会の借地110坪を買い取り牧師館を立てようと思い、少ない信徒と共に資金集めをしました。幸い日本基督教団には会堂建築のための「全国募金」が行われ、全国の教団教会と主だった信徒さん、「活水の群」に募金趣意書を送ったところ、目標の1千万円を超える募金が集まり、大口献金と手持ちの資金で借地を買い取り牧師館を建てようとしました。しかし駐車場が無くなると分かり、会堂の1階を礼拝堂、2階を牧師館に計画変更し、再度募金をお願いしました。そうしたら、大方の資金が備えられ、110坪の敷地に10台車が止まる駐車場付きの教会堂兼牧師館が建ちました。総額5千数百万円の事業でしたが、教団からの借金の未返済が500万円残っただけで、数年後に完済しました。
古い牧師館に入れなくなって失望落胆、前が見えませんでしたが、1年半後に道が開け、3年後に駐車場付きの新会堂兼牧師館が与えられました。神様の御計画は私達には分かりません。でも「神様の時」全ては成就します。ですから、私達は「神の時」「神様のなさる時」を大切にし、待ち望みましょう。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3章11節)からです。
2026年2月1日(日) 聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎
|