yuu


本文へスキップ

message

2026年2月8日礼拝説教要旨

                 祈りなさい(2)

                                                   坊向輝國

『絶えず祈りと願いをし、どんな時にも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈り続けなさい』
(エペソ書6章18節)

 

前回もこのみ言葉でお話をしましたが、今回はそのパートⅡです。

 祈りは、わたしたちが恵まれた信仰生活を送るためには大切なことです。祈って神から聖霊の力を受け、力強い人生を送ることが出来るのです。私の父は二十歳の頃に柘植不知人先生から、禱告の祈りを教えられてから、97歳で召天するまでの77年間、祈り続けた生涯でした。そして、この父の祈りでわたしは悔い改めて生まれ変わったのです。そこで今日はその話をします。

 わたしが高校3年になったとき、卒業したらどうするかと考えました。そこで友達に、「卒業したらどうするのか」と聞きますと、「大学に行く」と言うんです。そこでわたしは、大学に行くという道があることに気がつきました。そこで、どこの大学にいくのか聞きましたら「関西大学の法学部に行く」と言うんです。そこで、わたしもそこへ行くことに決めました。

ある日の夕食の時、父に大学に行くことを話すと、父は大反対しました。「お前は神学校に行って牧師になるのだ。お前のお母さんの遺言は、関西学院の神学部に行かせてくれと言っていた」と言うんです。私は「牧師の子供だからといって牧師になる、そんな世襲は嫌だ」と大喧嘩になりました。そんなことが数日続き、ある晩、夜中に家出をして尼崎のお婆さんのところに行きました。

 翌日、そこから学校に行きました。昼休みに校庭で友達と立ち話をしていたら、後ろに大きなものを感じました。振り向くと父が立っていました。父は一言、「今晩は帰ってこいよ」とだけ言って戻っていきました。その後ろ姿はなにか寂しさを感じました。でも帰るもんかと思っていましたが、行く宛もなく夜中に帰ると鍵が開いたままでした。その一日の家出で父は折れて、大学に行くことを赦してくれたのです。

 ところが、大学に行っても講義が面白くなく、数人の友達と時々一升瓶をもって裏山にのぼり、酒を飲んだり、旧制高校の寮歌を歌ったり、人生論、恋愛論、結婚論を議論したりしました。そして家に帰るのはいつも夜中過ぎでした。

 その頃から父の祈りが始まったのです。父は毎朝、教会の講壇の前で祈るのですが、2、3人の名前を呼んで祈ったかとおもうと、「輝國を!」とひときわ大きな声で叫ぶように祈るのです。また2、3人の人を祈るとまた「輝國を!」と大きな声で祈るのです。まるで波状攻撃のような祈りで、それで目が覚めるのです。そんな朝が毎日続きました。

 ある晩、ひどく酔った友達を家に送り届けて帰ったら夜中の2時過ぎでした。ところが教会の窓が開いていたので上ってみると、月明かりに何か動いているのです。よく見ると父が祈っていたのです。そこで中に飛び下りると、父は「戸を閉めて休みなさい」とだけ言って自分の部屋に行ったのです。その姿を見たとき、自分のために心配して、こんな時間まで起きていてくれたのかと、わたしの胸がズキンとするものを感じました。 

わたしは自分の部屋でベッドの上で泣きました。そして「神様、もうこんなことはしません。赦してください」と祈りました。これがわたしの悔い改めだったのです。そして、わたしは生まれ変わったのです。翌日から真面目に大学にいきました。そして、そのときから酒を飲むのは二十歳でやめ、今日92歳まで一切飲んでいません。つまり私は父の祈りで悔い改め、生まれ変わったのです。

 もし、皆さんの家庭に問題のある子供があったら、信仰もって祈ってください。神様はその祈りに答えてくださいます。

 ヨハネ福音書14章14節に「何事でも私の名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」とあります。神様は祈る人を愛して答えてくださいます。

 こんな話があります。ある青年がお婆さんを尋ねました。そしてお婆さんに「ぼちぼち天国に行く準備をした方がいいね」と言いました。お婆さん「どうしたら天国に入れてもらえる」と聞きましたので、「イエス様を信じて洗礼を受けたらいい」と答えましたら、「洗礼を受けたい」と言いましたので、教会からお婆さんの家に行って、信仰のお話をして準備をしました。

 洗礼式の日、早朝からお婆さんはお風呂に入って体を清め、新しい着物を着て教会から来るのを待っていました。洗礼式が終わったとき、お婆さんは「これで天国に行けるから安心だが、ひとつだけ心配なことがある」と言ったので聞きますと、「わたしの最後は誰からもしもの世話をしてもらいたくない」と言いますので、「そのように祈ったらよい」と教えると、お婆さんはご飯のときにそれだけを祈っていました。やがて体調を崩して病院に入院しました。そこでわたしは駆けつけて祈りましたが間もなく召されました。ところがお婆さんの願いのようにしもの世話をされることなく召天したのです。