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聖書箇所 詩篇121編1節~8節
「私たちを守られる神様」
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」
(詩121篇1節2節)
「生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」
(イザヤ書46章3節後半~4節)
「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。」
(詩篇34篇7節)
「詩篇121篇」は「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(同篇1節2節)から始まりますが、表題には「都もうでの歌」とあり、海抜750mの山の上にありますエルサレムの都に上って、そのエルサレム神殿に詣(もう)でて真の神様を礼拝し、感謝を表して祝福を頂く巡礼者の旅路の歌です。
「詩篇121篇」が歌われた当時、エルサレムの都と神殿に詣でる旅路では、標高差750mの「山登り」をしなければなりませんでした。しかも、ごつごつして赤茶けた岩山の曲がりくねった山道を一歩一歩登って行く旅路でした。更に当時は、今のように警察署や警察官の巡回はありません。エルサレムに向う山道には恐ろしい追い剥ぎ、盗賊がよく出没しました(ルカ福音書10章「良きサマリヤ人の譬え」参照)。その時、敬虔な巡礼者の心の叫びは「どうぞ、盗賊から守り、助けて下さい」だったのではないかと思います。
ですから「わたしは、(エルサレムの神殿のある)山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。」(詩121篇1節)とは、天地を造られた主なる神様から来る「助け」を求める叫びです。そして巡礼者は確信をもって「わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(詩121篇2節)と告白します。このように巡礼者が信仰を込めて歌っている歌が、「詩篇121篇」です。
またそれは、「人生」という「大山」を登っている、「山登りのような生涯」での、私達一人一人の「叫び」でもあるのではないでしょうか? そこでは、追い剥ぎや強盗は多くはないでしょうが、思わぬ事故、災害、病気、警察官を騙(かた)る詐欺、また一生が台無しになる誘惑の数々で満ち溢れています。神様を信じている私達は「(人生という山登りの)山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(詩121篇1節2節)のです。
16年程前に娘と共に富士山に登った時も、途中3千mを超える頃に空気が薄くなって貧血のような状態で倒れそうになり心臓も苦しくなりました。動悸や息切れで本当に苦しい時「もうやめてしまおうか」と思いましたが、富士山という大山を仰ぎながら心の中で「神様、助けてください。」「何とか、力を与えてください。頂上に登らせて下さい。」と祈りました。その後、娘から空気を一杯吸う腹式呼吸の方法を教えてもらい心臓も頭も楽になって、何とか富士山の頂上(海抜3776m)に立ちました。
山登りだけでなく、「人生という大山」を登る私達一人一人にとっても、「(人生の色々な問題からの)助け」は、「天と地を造られた主から来る」という真理を指し示しているのです。確かに、主なる神様は、私達を助けてくださいましたし、そして、これからも助けてくださいます。
山道では足が疲れ、「足が動かされ」よろめくこともあります。「人生という山登り」でも、よろめくことがありますが、主なる神様は守ってくださいます。また神様は決してウトウトして、まどろまれることはありません。一睡もせずに私達一人一人を見守り、助けてくださいます(詩篇121篇3、4節)。
更に、主は「右手をおおう陰」(121篇5節)とあります。「寄らば大樹の陰」と言いますが、「陰」とは「守りの中に入る」の意味です。私達はその場しのぎの「大樹の陰」ではなく、主なる神様が覆われる「真実で永続する陰」に入れて頂いて守られたいものです。その時、「昼は太陽があなたを撃つことなく」とあります。昨年の夏は平均気温が統計を開始した1946年以降最も高くなりました。酷暑、酷暑でしたが、「昼は太陽があなたを撃つ」ことからも守られました。また「夜は月があなたを撃つことはない」とあります。実は、月の影響は潮の干満だけでなく、地球に生きる生物の世界でも「驚くべき影響」があります。月や太陽による潮の満ち引きは海に住む生き物達に大きな影響を与え、彼らは大潮の時に産卵し、魚類の活性が上がると言われており、アメリカで釣りの大会を行うのは「大潮の週末」だそうです。海の中だけでなく、陸上の生物も月の満ち欠けに大きな影響を受けています。その影響力がいい方向から、逆に悪い方向になれば恐ろしいことになります。
最後の「主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、・・・」は、巡礼の旅人が全ての災いから守られ、エルサレム神殿を目指して出発する時も、また神殿での礼拝を終えて帰る時も全て主なる神様のお守りがあるようにとの祈りです(詩篇121編7節8節)。特に「7節の後半」に「またあなたの命を守られる」との部分は、新共同訳では「あなたの魂を見守ってくださる」とあります。健康な体と恵まれた環境と申し分のない所に置かれても、人は「魂」と「心」が荒れていて平安がなかったら、また誘惑に乗ってしまって空しいことにのめり込んで大切なものを失っていたら残念です。神様は、巡礼者を災いから守り、「魂」も誘惑から守られます。主なる神様は、あなたを今まで守って下さいましたし、これからも永久(とこしえ)まで、あなたの体と心を見守ってくださいます(イザヤ書46章46章3節後半~4節)。
最後に、神様により死の危険から救出された証を紹介します。南太平洋のニュー・ヘブリディス諸島に「福音」を伝えるため遣わされたジョン・ベートン宣教師夫妻は、偶像礼拝をする現地人に襲われました。ある夜、現地人たちがベートン師夫妻の宣教基地を取り囲んで火を放って、宣教師夫妻が出てきたところを殺そうとしました。ベートン師夫妻は神が救い出して下さるようにと、一睡もせずに祈り明かして朝を迎えて助かりました。それから一年後、現地人の酋長がイエス・キリストを信じました。ベートン師はその夜のことを思い出し、酋長に「なぜ、私の家を焼いて、私達を殺さなかったのですか?」と尋ねました。酋長は驚いて「あの時、あなたと一緒にいた人々は一体誰ですか?」と言いました。ベートン先生は「誰もいません。私と妻だけです。」と答えました。酋長は「たくさんの輝く衣をまとった巨人達が、抜き身の剣を持って守りを固めていたので、私達は恐れて攻撃しなかった」と言いました。その時初めてベートン師は「神様が天使を送って自分達を守って下さった」と悟りました(詩篇34篇7節)。
私達自身についても、主の天使の助けを頂いたことがたくさんあるのではないでしょうか。主なる神様は、その都度、不思議な守りや助けを与えて下さり、困難を切り抜けさせて、今に至らせて下さいました。主の助けを心から感謝します。
2026年2月15日(日)伝道礼拝説教要旨 竹内紹一郎
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