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聖書箇所 ヨハネ福音書7章19節~24節
「神を愛し、人を愛せよ」
「もし、モーセの律法が破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい。」
(ヨハネ福音書7章23,24節)
「ひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、『先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか』。イエスは言われた、『「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている』」
( マタイ福音書22章35~40節)
今日の聖書箇所は、「律法」の見事な解き明かしをされた主イエス様(ヨハネ福音書7章14~18節)が、「律法の実践(律法をどう行うか)」について教えておられるところです(7章19~24節)。
来年度から、青切符制度が自転車にも適用されますが、それを知っているだけでなく、交通法規を実際に行うことが大切です。同様に旧約聖書の教えの「律法」も知っているだけでなく、「実践する」ことが重要でした。特に、「十戒」の「第4戒」の安息日の規定は大事で「安息日を覚えて、これを聖とせよ。 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目は あなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。… 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」(出エジプト記20章8~11節)と教えられています。安息日の規定があればこそ「ユダヤ教」「キリスト教」は今まで存続して来たと考えられます。
イエス様は、この「安息日の実践」を御自分の体験から教えられました。主は初めに、ユダヤ人に向かって「あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」(ヨハネ福音書7章19節後半)と言われたのには「背景」がありました。多分、当時から1年半程前の「ベテスダの池での病人の癒やし」(5章前半)がありました。38年間も病気で悩んでいる人に対して、主が「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と言われると、 その人はすぐに癒やされ、床をとりあげて歩いて行きました。ところが「その日は安息日」(5章8,9節)だったのです。当時「安息日」を守らずに「癒し」という「医療行為の仕事」をすることは死罪に当たりました(出エジプト記31章14節)。更に、主は「安息日に癒しをする」理由として「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」と言われ、父なる神様と御自分を一つとされたのでした(ヨハネ福音書5章18節)。それで、ユダヤ人たちは主イエス様を殺そうとしました。
ところが同じ「十戒」の「第6戒」には、「あなたは殺してはならない。」(出エジプト記20章13節)とありますので、主イエス様はユダヤ人こそ「律法」を行っていないと言われました(ヨハネ福音書7章19節)。それでユダヤ人たちは「イエスを何としても殺したい」という心の思いを言い当てられて、慌て苦し紛れに「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうと思っているものか」(7章20節)と言われました。
そこで主イエス様は、「ベテスダの池の癒し」(5章前半)と、イスラエル民族のアイデンティティ(神の民イスラエル人であること)を象徴する「割礼」を施す行為を取り上げて、「安息日とは何か、どうすればよいか?」を教えられました。ここで「一つのわざ・・・を見て驚いている」(7章21節)とあるのは、上述した38年間も病気で悩んでいる人を「安息日」に癒された御業のことですが、その正当性について、「安息日」でも行われる「割礼」との比較によって教えられました。「割礼」は「イスラエル民族(ユダヤ人)」であることの「徴」で、男の子が生まれたら「八日目」に施すことが決められていました(レビ記12章3節)。更に、渇き切った荒野を旅しても、何十日も入浴も沐浴も水浴びも出来なかった「イスラエルの民」にとって、不潔になりやすい体を病気から守る「医療行為」でもありました。
主イエス様は、その「割礼」と38年間の病に苦しむ人の全身を癒す「医療行為」を比較して、「安息日」であっても、その人の体全体を健やかにする「癒し」を行うことこそ大切だと言われたのです(ヨハネ福音書7章22節~24節)。それは、人を愛して幸せを願う「本当の愛」に根差している「癒しの御業」でした。大事なのは、「律法の戒め」よりも、隣人を愛して行う「愛の業」だと主張されたのでした。
この事は、現代の私達にも大切です。主イエス様が律法学者から「律法」について質問された時、大切なのは「神様を愛し、隣り人を愛する」ことだと言われました(マタイ福音書22章35~40節)。この「隣り人への愛の大切さ」についての証詞を紹介します。
バックストンの直弟子竹田俊造先生の子息の羔一先生は、戦争中門司捕虜収容所長をされ、戦後の東京裁判で戦犯として裁かれる立場でしたが、神様はこの「クリスチャン捕虜収容所長」を助けられました。
終戦後間もなく、連合軍による軍事裁判で戦犯者が続々と処刑されました。戦争当時、敵国捕虜を船艙(船の中の倉庫)に詰めてグアムから輸送するため、赤痢患者が続出した時、羔一先生は軍医に協力を頼み、人道的立場から万全の措置を尽くすことを依頼し、民間の薬局から出来る限りの薬を集めて治療に努めました。その効あって死亡者が漸次減少し、絶望的患者が次第に快復に向かっていきました。
しかし、多数の死亡者と数知れない落ち度もあり、羔一先生は絞首刑になっても致し方ない状況でした。終戦後、半年経って羔一先生の捕虜収容所長時代の前任者も処刑され、「次は私の番だ」と思っておられたのに、先生には呼び出しがありませんでした。どうもおかしいと次第に不審を抱き始められたのでした。
そのころ、英国からホーア宣教師が日本に帰って来られ、英国での出来事を話されました。「英国では『戦争中に船で日本に連れて来られ、赤痢を患った多くの捕虜を収容した門司捕虜収容所は、タケダ所長以下の献身的な努力で多数の者が快復した。重症で死者も多く出たが、みなキリスト教式で丁重な葬儀が営まれ、所長が墓標まで書いてくれて付近の丘に埋葬してくれた。日本にもこんな所長もいるのだ』と広く伝えられていきました。その後、日本の捕虜収容所長が片っ端から絞首刑になっていると知った英国と米国の捕虜たちは、我々のタケダ中尉を何とかして戦犯から守らなければと言って、『タケダ中尉援護会』というのを作ってくれ『タケダ中尉のため何時でも我々は弁護に立ちます』と言って一丸となって当局に運動してくれたのですよ。」羔一先生は、目を輝かせて息もつかずに一気に語られたホーア宣教師のこれらの言葉に聞き入りながら、ただ恐縮と驚異の感情が内に交錯するのを覚えたとのことです。「律法」そして「聖書」の教える「神様の御心」は、「神様を愛し、隣り人を愛する」ことです。
2026年3月1日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎
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